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初回公開日 2015.1.10
藤本蓮風さん(写真左)と児玉和彦さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」
鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は今回から、和歌山県岩出市の医療法人明雅会「こだま小児科」理事長で医師の児玉和彦さんをゲストにお迎えして、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんと対談された模様をお届けします。まず“本番”の前に児玉さんの略歴を以下にご紹介します。
こだま・かずひこ 小児科医、医療法人明雅会「こだま小児科」理事長。昭和53(1978)年生まれ。和歌山県出身。京都大学医学部卒業。神戸市立中央市民病院(現・神戸市立医療センター中央市民病院)内科研修医、医療法人鉄蕉会「亀田ファミリークリニック館山」家庭医診療科、医療法人同仁会「耳原総合病院」小児科医長などを経て現職。日本小児科学会小児科専門医、日本プライマリ・ケア連合学会認定家庭医医療専門医、同指導医、日本内科学会認定内科医。日本小児科学会、日本小児心身医学会、日本プライマリ・ケア連合学会、日本内科学会に所属。
蓮風 児玉先生、「蓮風の玉手箱」へようこそ。
児玉 お招きいただき有り難うございます。
蓮風 きょうは、よろしくお願いします。ドクターのゲストには毎回最初に聞いているんですけど、先生はなぜ医者を目指されたのでしょうか。ここらから聞かせていただきたいと思います。
児玉 はい、そうですね。「なぜ医者に?」っていうのはよく聞かれるんですけれど、うーん、そうですね、父と母が医者だったのと、父方の大叔父が軍医でしたので。
蓮風 ほー。
児玉 南方の島で戦死してるんですが、そういう繋(つな)がりもあって、医者というものに対してのイメージがあったわけですよね。
蓮風 そうでしょうね。
児玉 はい。ですから、医者を目指すとか医者になると決めること自体はすごく自分にとっては自然なことでありましたね。
蓮風 はいはい、環境がね。そしてやっぱりお父さんお母さんが患者さんを治していく姿を見られて、やはり良い仕事だなと、そういうことですね。
児玉 そうです。自宅で診療してたわけじゃなかったので、実際に治してる場面には出会わなかったんですけれども。
蓮風 あー、そうですか。
児玉 夜でも求めに応じて出て行ったりとか…。やはりそういう仕事に対する真剣さっていうか、そういうのは感じてました。
蓮風 それは大きいですよね。やっぱり、親の背中を見て育つというようなことを言いますがね。環境は大きいですね。
児玉 はい。
蓮風 かくいう私も、そういう(鍼灸師の家系という)環境の中で育ったから、鍼灸を目指したということだろうと思いますがね。しかし最初は抵抗あったんですよ。
児玉 あー、そうですか。
蓮風 僕らがね、21歳いうとちょうど50年前ですから。非常に(鍼灸の)医療としての環境も良くなかったですね。特に西洋医学のお医者さんにすると、あれはなんじゃというような白い目で見られる。今でもありますけど、それでもずいぶん良くなりましたね。そうするとやはり、ご家族の影響が大きかったと。
児玉 そうですねぇ。平たく言うとそうかもしれないですが、どちらかと言うと神仏のお導き的な所かもしれないです(笑)。
蓮風 (笑)
児玉 なんかこう自分のこう、なんていうか…。
蓮風 意志というよりも、運命的なものがね。
児玉 はい、そういう感じがします。
蓮風 誠にそうだろうと思います。先生は小児科・内科がご専門です。『HAPPY!こどものみかた』(日本医事新報社)という著作やDVD『こどものみかた シミュレーションで学ぶ見逃せない病気』(ケアネット)の制作にも関わっておられます。お仕事に非常に熱心ですが、面白いですか?(笑)。
児玉 あー、そうですね(笑)。面白いのは面白いです、やっぱり。ただ、僕は医者になって12年目になるんですけれど、面白さで言うとですね、やっぱり臨床をしてるときの方が面白いです。本を書いたり、セミナーをするのもすごく楽しいんですけども、すごく落ち込むのも、すごく幸せな気持ちになるのも両方ともやっぱり臨床ですね。
蓮風 あー、そうですか。患者さんに出会って、患者さんの病気を治そうと格闘してる時。
児玉 そうですね。すっごく上手くいかなくて落ち込むこともあるんですけど…。
蓮風 あります、あります。
児玉 やっぱりすごく、あぁやったなって思うのもそっち側で。
蓮風 悲喜交々(ひきこもごも)があるわけですね(笑)。〈続く〉