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藤本蓮風さん(写真左)と児玉和彦さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」
鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は和歌山県岩出市の医療法人明雅会「こだま小児科」理事長で医師の児玉和彦さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談の10回目をお届けします。今回のキーワードを一言で表現すると「ぬくもり」になるでしょうか…。治療する側とされる側の関係はどのようにあるべきなのかを考えている、とも言い換えられそうです。実際、病院に行って「このお医者さんは患者に触れるのが嫌なのだろうか」と思ったことはないですか。でも患者は千差万別。そして医療は数字の分析や本を読むのとは違って、ある種の肉体労働です。触れあわないと分からないことがあるような気がします。そんな基本的な点をあらためて感じる会話です。(「産経関西」編集担当)
蓮風 実際に鍼を持って患者さんを治療されての先生の、ご自身の感想はいかがですか? たとえば、子供さんや普通の大人を相手に、こういう薬を注射しましょうとか、こういう薬を処方しましょうというのと、鍼を直接刺す感覚との間には特殊な違いがあるでしょう。それを聞いているわけです。
児玉 やっぱりこう、なんでしょうね。大きくいうと「ぬくもり」という感じでしょうかね。
蓮風 それ大事ですね。患者さんのぬくもりもあるし、患者さんが感じる医者のぬくもりもあるし…。肌を通じてかようもの、鍼を通じてかようものは大事だと思いますね。そういう点では薬とか注射では分かりませんな。非常に大事なことだと思います。先生はちょっと不思議に思われるかもしれませんが、刺さないで、かざす鍼なんかはその極致ですわ。
3歳以下の子供さんは、鍼が独特の「気」の交わりというか、繋(つな)がりをもつと、生体側(子供の身体)がどくどくぴくって動くんですね。赤ちゃんをよくみておられたら分かるけど、ぴくって動くでしょ。ああいう反応が起こるんですね。先生は直接、鍼を刺してぬくもりを感じるって、おっしゃった。このぬくもりというのはものすごく大事なことなんですね。これは医療であって医療ではない世界なんです。だいたいは「気」の医学ですからね。形を超えて何かがスパークする世界なんで…。
そういう点で、かざす鍼を知らない者にしたら、トリックみたいにみえるかもしれんけど、僕は「気」の本質的な部分だと思うのです。これから体表における「気」の研究というのが始まっていくと思います。その端緒が「かざす鍼」なんですね。しかし、いい話が出てきますね。
漢方エキス剤が普及し医学部でも漢方の講座があると聞きますが、鍼の講座も必要かと思います。この点についてご意見があればお聞かせ下さい。先生の頃は、漢方の講座はありましたか?
児玉 なかったです。もう15年も前ですけど。
蓮風 最近はどうですか。京都大学は。
児玉 京都大学の最近の事情はちょっと分からないですね。
蓮風 ああ。そうですか。
児玉 学生たちが自主的に勉強しているのはあるとは思いますけど。やっぱり誰がどう教えるのかというのが、全てかなと思います。
蓮風 重要なことですね。
児玉 それは西洋医学も一緒で、いろんな先生がいますけれど、学習者が自分よりも上に行くのを嫌がる先生は、人に教えるべきではないですね。
蓮風 おりますね。
児玉 そういうのは特に多いですから。教官と言われる人には…。
蓮風 それ、西洋医学でもそうですか。
児玉 もちろん。
蓮風 人間性の問題ですね、まったく。人間が決定することでね。私は(自分の)上を行く人がおったらそれはそれでいいなあと思うんだよね。自分も行けばいいけど、行けなくてもいいじゃないか、というような考え方を持っていればいい。
児玉 なので、先生が、講座を持たれるのが一番よろしいかと。
蓮風 そうですか。ありがとうございます。その時は呼んでください。
児玉 はい。
蓮風 実際、西洋医学は漢方エキス剤を通じて、東洋医学の世界を垣間見ているわけですけど、でたらめな使い方もたくさんありますね。もうちょっとね、講座の時間を増やすとか、専門的なトレーニングをする必要がありますけどね。とりあえず取り上げたということだけでね、世の中進歩したと私は見ているんです。今まで全然ダメだったでしょう。そういう点では良いことやと思うし、我々も鍼もどんどん出ていかないかんなと思っているんですけどね。〈続く〉