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藤本蓮風さん(写真左)と児玉和彦さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」
鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。和歌山県岩出市の医療法人明雅会「こだま小児科」理事長で医師の児玉和彦さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談の11回目。小説や映画にもなった江戸時代の医師、華岡青洲をめぐって「統合医療」の可能性について語られています。別の面から見ると、医師の技術や知識とは何か?という問いの答えを探る試みでもありそうです。「名医」の“意味”について考えるきっかけにする方もいらっしゃると思います。(「産経関西」編集担当)
蓮風 先生は基本的には(東洋、西洋の医学がひとつになる)統合医療はありえないという、お考えですよね。ところが、先生の地元の和歌山で、華岡青洲(1760-1835年)が世界で初めて全身麻酔での手術を成功させています。あれは西洋医学と東洋医学がドッキングして融合した世界だとする考え方は成り立たないんでしょうか?
児玉 うーん。
蓮風 「統合医療」はありえないという話と繋がってくると思うんですけど。
児玉 僕は両方の達人じゃないので、自分レベルの立場で華岡青洲ほどの人をどう評価するというのはあり得ない…というのを前提としてですけれども、おそらくその時の東洋医学の達人、その時の外科の達人からして、青洲の外科や東洋医学の漢方の技量、知識がどうだったかということに尽きるんではないかなと思います。
当時の達人たちと同じくらいのレベルならば「統合医療」と呼べるものではないと思いますし、それ以上の技量や知識があったのであれば一応は「統合医療」と言ってもいいのかもしれません。でも華岡青洲があそこまで評価されているのは、東洋医学の腕や外科医としての腕ではなくて、おそらく全身麻酔を発明したからです。
ですので、青洲の評価には様々な考え方がある。大方一致しているのは、世界で初めて全身麻酔を発明して、それで乳癌(がん)の手術をやり切ったということへの評価です。もうひとつは、医学には、試してみて、また次にやってみるという実験…そういう手法があって、色々な医療を取り入れて最高のものを目指すという方向性を明確にした…。ただ僕は、それを「統合医療」だとは思っていないです。「青洲の医療」であると、思っています。
蓮風 なるほど。話を差し挟むようですが、青洲の功績のひとつに麻酔があったと…。それから実験ということもあったということですね。しかし考えてみたら実験なしの臨床医学はあり得ますか。
児玉 あり得ない。
蓮風 ねえ。そういう意味では、必ずしも華岡青洲の功績ではないと。
児玉 そうです。
蓮風 そういうことですね。
児玉 僕は信念があってですね。医療、医学というものは本に書けないものというか、その人に結び付いた医療とか医学があるはずです。術者というか医者に結び付いた医学なんです。以前、落語家の方が仰(おっしゃ)っていたのですが、何回同じ話をしても、やればやるほどその人の落語、同じことを喋っているんだけど、その人に結び付いた落語、話である。
医学も一緒で、その人に結び付いた医学なんですよ。名前だけの問題であれば「統合医療」でも何でもいいとは思うんですけど、混ぜればいいという話ではなくて、そこに自分なりの信念がないと良い医療とは言えない、僕はそう思っています。
蓮風 特に鍼をやっていると、自分の鍼…それから弟子たちがやる鍼、それから「北辰会」の人間がやる鍼。何でこんなに同じこと教えているのに違うのかなと思います。先生が言うように、その人の人間性とかカラーが大きく影響しますね。もちろんそこから出てくる手の感覚とかそれに基づく鍼の操作とかセンスいうもんだろうと思いますがね。つくづく人間の個性が大きく関わっているなと思いますね。
児玉 先生、どうしても聞いてみたいことがひとつあるのですけど。僕、先生は、すごいと思うんですよ。僕らには治せないものを治せると、思っていますけれど、先生ももう臨床50年になられました。そして、次の50年って人間的には、ちょっと難しいかなと思っています。先生だとあるかもしれないですけど(笑)。
蓮風 (笑)。東洋医学の原典というか聖典には「100歳まで生きて100歳にして子を生す」と書いてありますから、そこまでいったら私もかなりのものだと思うのだけど(笑)、せいぜい、あと20年は、鍼を楽しもうと思っていますね。<続く>