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藤本蓮風さん(写真左)と川嶋朗さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授の川嶋朗(かわしま・あきら)さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談の6回目です。米国で西洋医学の研究をしていた川嶋さんは方向を転換して、日本で治療に鍼灸を取り入れることを決意、急きょ帰国して北里大学の東洋医学研究所の門を叩いたのに、けんもほろろ断られたのでした。今回はその続きです。(「産経関西」編集担当)

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 川嶋 留学前に、できたばかりの東京女子医大の東洋医学研究所にも誘われていましたが、名前だけで中身はほとんど伴わないだろうと思っていたんです。でも北里大学の先生から「女子医大の所長は代田文彦先生だよ」って言われました。(父親が鍼灸師で、医師と鍼灸師が協力して治療するチームも作った実績のある)代田先生が所長なら女子医大でなんとかなると判断しました。

 そこで代田先生に電話を掛けたんですが、代田先生に「結構うちは人気があって、いっぱいだから今は駄目だよ」と言われたので仕方がなく(母校の北大の)腎センターに戻りました。

 何となく悶々としながら、腎臓病の仕事に戻ったのですが、これは忘れもしません、1995年4月19日の朝、突然右の耳が聴こえなくなりまして…

 蓮風 はぁー。

 川嶋 アメリカではリサーチばっかりやってたもんですから、臨床の勘は狂っていました。花粉症はボストンではなかったんですが、3月に日本へ着いた途端にその晩から窒息しそうになり、花粉症だったことに気づくと同時に悩まされるはめに…。これは花粉症に伴う中耳炎だろうと思ってしばらく放置してしまいました。それで治療が遅れまして。

 蓮風 うんうん。

 川嶋 しばらくして周りから「お前、それ突発性難聴じゃないのか」と言われて「えっ!?しまった!」と…。だとしたら間に合わないかもしれないと思ってすぐ耳鼻科に行って、ステロイドをはじめとする治療を受けたんですが、全くよくならない。1カ月したところで廊下ですれ違いました時に担当医から「どうですか?」と聴かれて、「変わりません」と言うと、「あっ、そうですか。じゃあ、もう一生治りませんから」って、ポーンと言ってのけられちゃったんですよね。これは結構きついなと思いました。

 蓮風 (笑)

 川嶋 僕には、まだ鍼灸や漢方がありますからいいんですけどね。これ一般の患者さんはどうしていいか分かんなくなっちゃうだろうと思いました。

 蓮風 うんうん。
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 川嶋 当時、僕は30代。人生まだ半分あるのに、半分耳が聴こえないまんまって言われた人間がどんな思いになるかっていうのが分かったわけですね。一般の方だったら、鍼は鍼灸師さんのところに行かなきゃいけないし、漢方薬も薬屋さんとか医者のところ行かないと処方してもらえません。

 鍼灸も漢方薬も「気」のコントロールなのだから気軽にできる「気」のコントロール法を考えました。何も使わずに気をコントロールするには気功だと単純に発想して、勉強を始めました。驚いたことに、気功には3000以上も流派があって。何が何だか分からなく途方に暮れているところで外来のナースから、「うちの腎センターの所長がやってる」っていう話を聞いて、そんな馬鹿なと…。「人工臓器の権威が気功なんてやってるはずないじゃないですか」って言ったら「嘘だと思ったら見に行きなさい」って言われ、行ったら、本当に外来で患者に対して手かざししていたんです。「何やってるんですか?」って言うと、「見りゃ分かるだろ、気功だよ」って…。「先生それ教えて下さい」って言ったら、「いや駄目だよ、あんたなんかに分かりっこないよ」って。

 蓮風 ふふ(笑)。

 川嶋 北大の先輩だったので、いや先生、僕は母校に東洋医学研究会作って、「気」の勉強とかしてないわけじゃないんですけど、って言ったら、そうか、じゃあ教えてやる、ということで、「真氣光」という気功の団体を紹介してもらいました。当時、その団体の長である中川雅仁先生は、カリスマ気功師で、何でも治しちゃうような方だったんですけども。そこへ連絡して、体験をしたいと告げたら、合宿に来なさいということになりました。

 無一文で帰国したので、借金をして、その合宿に夏休みを潰して出ることにしたんですが、それが生駒なんですよ。

 蓮風 はぁー。

 川嶋 奈良の生駒の山の中に合宿所があったんです。実は中川先生が、脳卒中で倒れて僕の参加する合宿には来ないんじゃないかって言われてたんです。ところが奇跡的にその僕が行った時には来られてまして、それから半年後に亡くなってしまうんですが。

 蓮風 うーん。

 川嶋 その合宿所に入りましたら、中川先生が、「今から気を出しますので、みなさん座って下さい」とおっしゃる。その気功なるものが始まったら、体をゆすり出す人、歌を歌い出す人、泣き出す人などが続出して…。

 僕が帰国した1995年は1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件があった年なんです。

 蓮風 ほーぅ。

 川嶋 テレビで白装束のおっかないオウム真理教の人たちを見てたもんですから、いやーこれは、ひどいところきちゃったなぁと…。オウム真理教の親類か?みたいな印象を受けたんですが、実はそんなことはありませんでした。

 そこには体が悪くて治したい方もたくさん来ていました。それに東京工大の先生が「気」を科学的に解釈する話をしたり…。驚くようなことも少なくありませんでした。中川先生自身も、昔は、ただただ片っ端から治していたんですが、脳梗塞で倒れ、それはいけないことだとお気づきになったそうです。要は片っ端から治すんじゃなくて、やっぱりなぜ病気になってしまったのかということに患者さん自身が気付かないといけないんだと。

 とにかく「気」のシャワー、専門家の説明、繰り返し気づくことの重要性の講釈で、だんだん“洗脳”されてくるんです。食事は玄米菜食だし、その道場の掃除は全部させられるし、朝に晩にヨガもさせられるもんですから、10日も居れば“洗脳”され、こういう場所も悪くないなぁと思い出すんですね。

 蓮風 (笑)〈続く〉