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藤本蓮風さん(写真左)と川嶋朗さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回は東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授の川嶋朗(かわしま・あきら)さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談の7回目。前回は「気」に強い関心を持った川嶋さんが1995年夏に奈良・生駒へ気功団体「真氣光」の合宿に借金をして行ったというエピソードが語られました。その続きです。(「産経関西」編集担当)

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 川嶋 合宿の最終日に、別室に数人呼び出されたんです。「気を出しなさい」って言われて。出し方なんて習ってないのに、見よう見まねで周りに合わせていたら、(「真氣光」を創設した)中川(雅仁)先生(先代、1936~95年)が気を出している両手の間に手を入れて行って…。「戻っていいですよ」と言われて、元の部屋に戻ったところ、「今から名前を挙げる方は気功師です、頑張って下さい」と言った。その中になんと僕の名前が入ってまして…。そんな馬鹿なと…。何も教えてもらってないし…。とはいえ、駄目もとでやってみようかとも思って、東京に戻って、膝痛を訴える透析患者さんに手をかざしてみたんです。すると、ものの30秒もかざさないうちに、「あ、先生!良くなったよ」って言うんです。「えっ!?嘘でしょ!?」って感じでした。

 蓮風 (笑)

 川嶋 「いや嘘じゃない、嘘言ってもしょうがないだろ」「本当ですか!?」「本当もなにもこの通り」というわけです。こうなると面白くなって、複数の透析患者さんにやりまくりましたところ、かなり良い成績が出てたんで、これを日本透析医学会に報告しました。口頭発表後、場内から「プラセボ(偽薬)じゃないか」と質問され、代金もとっておらず患者さんには何の被害もないので、「プラセボでいけませんか?」と返しました。

 要するにプラセボは効果があるからプラセボ効果なんです。もしもこれがプラセボ効果だとしても、お金は一銭も掛かってないし、人を騙してるわけじゃないので、「僕がやってる以上にプラセボ効果を引き出す良い方法があるのなら教えて下さい」とさらに追い打ちをかけましたら、場内がシーンと静まり返り、それ以来、日本透析医学会では、変な奴になっちゃいました。

 気功を知って、見えないエネルギーの存在に確信を持ってしまい、それからは見えないエネルギーの勉強を始めることになりました。すると、日本にも「波動」なるものがあったり。ヨーロッパに目を向けると「アロマセラピー」や「フラワーエッセンス」さらに「ホメオパシー」なる医療もあって、そういう勉強も次々に始めました。

 蓮風 はいはい。

 川嶋 世の中は見えないものだらけでした。
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 蓮風 今のお話を聞いていますと、どっちかと言うとちょっと、世間では怪しげな医学というか、医療に色々と、平気で飛び込んでおられますねぇ。

 川嶋 ええ。当然本業である西洋医学は決して自分の力が衰えないようにしっかりとやりながら、もちろん若いドクターたちへの指導も怠りなくやってるわけですから、誰からも後ろ指さされるようなことはないわけです。あとは、趣味みたいなもんですから、勉強してました。

 2年経ったところで、東京女子医大の東洋医学研究所に空きができて、(北海道大学から移った東京女子医大の)腎センターを辞める覚悟で行くことにしました。行って驚いたのは、まず、「医者に鍼は打たせない」と、所長の代田(文彦)先生から言われたこと。「どうしてですか?」と聞いたら、「大した腕でもないのに、医者が打ち始めると患者は医者っていうだけで鍼灸師を無視して医者の方に行くからな」と。「だから鍼を打つ医者は鍼灸師に嫌われてるんだ」とも。

 蓮風 (笑)

 川嶋 「だから打つもんじゃない」と言われまして。

 蓮風 うーん。

 川嶋 …と言いながら、代田先生ご本人は外来ではサービスで皮内鍼を打っている。だから僕もそれちょっと真似してました。

皮内鍼(ひないしん):細く短い鍼を皮膚組織内に刺入し、絆創膏などで固定して、1日から数日間留置する治療法である。昭和初期に鍼灸師の赤羽幸兵衛(あかばねこうべえ)氏が考案した。 「北辰会」方式では、置鍼しすぎると反って悪化することもあり、本来の鍼治療を正しくできない可能性があるため、皮内鍼は一切取り入れていない。(「北辰会」註)

 蓮風 ずっと聞いてますと、先生は、どっちかと言うと怪しげなものを平気で受け取られる。私も素人やからわからんけども、そういう素地がある中に「統合医療」という考え方が出てくるのはやっぱりアメリカ医学からですか?

 川嶋 「統合医療」という言葉は2000年を過ぎたころからアメリカから世界に広まって来たものです。それまでは西洋医学を含まず、「代替医療」とか、「補完医療」と言う言葉が使われていましたから、ルーツはアメリカかもしれませんね。

 (腎センターに籍を置きながら見習い研究者のようなかたちで)東洋医学研究所に約1年勤務したところで、(東洋医学研究所から正式に所員として)「来ないか?」と誘われました。ただし「条件がある」と…。忘れもしません。当時の教授と助教授の2人に面と向かって言われたのです、「西洋医学を捨てなさい」と。「はっ? どういうことですか?」と尋ねたところ、「我々は漢方の専門家を育てたいのであって、君の西洋医学は出来すぎて邪魔だ」と言われたのです。そんなこと言われるとはとても思っていなかったので…。

 東洋医学研究所では、自分の考えていた医療は実現しないと認識し、腎センターに戻ることにしました。腎センターに戻った僕は、理想的な部署を目指し、当時の(女子医大の)理事長、学長、学部長、病院長のところにほぼ日参しました。

 新しい資料があると持って行って「(代替医療も)必要じゃありませんか?」と、訴えていきました。あんまりにもうるさく通い続けたせいでしょうか、ついにそれから5年したところで、「分院でそういう外来をやってみるか」とお声がかかりました。(診察日は)週にたったの半日でしたが、すぐに満杯になりました。それから1年弱、専務理事の先生から、「青山に美容外科の教授がクリニックを出す。美容外科だと聞こえがあんまり良くないから、君がずーっと言っていたものをくっつけてやるか?」と言われて。まったくお門違いのものが合体するのですけど、千載一遇のチャンスに違いないと思って受けることにしました。〈続く〉