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初回公開日 2013.9.7
竹本喜典さん
鍼(はり)の力を探る「蓮風の玉手箱」は今回から若手医師と鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の第2弾をお届けしていきます。登場していただくのは奈良・山添村国民健康保険東山診療所長の竹本喜典さんです。まずは、僻地医療に取り組んでいる竹本さんが医師になったきっかけから、お話が始まります。(「産経関西」編集担当)
竹本喜典(たけもと・よしのり)さん
山添村国民健康保険東山診療所長。1972(昭和47)年、奈良県生まれ。自治医科大学医学部卒業後、1997年から県立奈良病院に勤務し初期研修。99年、同県下北山村国保診療所に赴任、その後、県立奈良病院救命救急センター、国家公務員共済組合立大手前病院整形外科などを経て2009年から現職。※現タケモトクリニック(奈良県大和郡山市)院長
蓮風 「蓮風の玉手箱」へようこそいらっしゃいました。色々と、お聞きしたいのですが、まず、色んな職業があるのに、先生はなぜ医者をめざしたのでしょうか。
竹本 実はですね、医者をめざしてはいなかったんです。僕、高校が西大和学園(奈良県河合町)なんですけど、(西大和学園を)ご存じないですか。
蓮風 知らないですね。
竹本 今では、だいぶ賢くなってきたみたいですけど(笑)…。その頃は、まだでき立ての3年目で、遅くまで授業する学校やったんですよ。で、帰りの電車でカップ酒を飲みながら竹輪をかじってグターってなってるサラリーマンを見てたんです。その頃の僕には、サラリーマン生活はなんともつらい、人生の墓場のように見えまして、サラリーマンだけにはなりたくないと…。で、その時に上手いこと勉強のペースが乗ったというか、ハマった時期だったので、選べたというか、小ちゃい頃から昆虫博士みたいなタイプでしたし…。
蓮風 生物が好きだったんですね。
竹本 そんなんで、理系でサラリーマンにならない方法を考えて、医者やったら大丈夫やろうと(笑)…。結局サラリーマンでしたけど。そういう思いがあって医学部を選んだんです。(僻地医療の向上をはかるための)自治医大は、ちょうど学費が免除っていうのがありますし、田舎に行くことになるんですけど、釣りも大好きですし、生き物が大好きですんで、そういう意味でもちょうどええやろうということで…。もう本当に僕はそういうタイミングだけでフラフラっと生きているんだと思います。
蓮風 ご親戚とか、その他自分が子供の頃にかかった先生で、ドクターとして尊敬できるような先生がおられたとか。
竹本 そうですね。残念なほどいないですね。
蓮風 そうですか。
竹本 あまり病院にもかかりませんでしたし。
蓮風 そうですか、まずまず健康で。
竹本 そうですね。医者みたいなものの世界も分からないですし。
蓮風 でもよく入ってきましたね。普通は親がやっている仕事とかね、親戚がこうやったとか、で、自分がかかったドクターが凄かったからそれになりたかったからというのはよく聞くんですけど。
竹本 入学のときの論文には、そうやって嘘を書きました(笑)。
蓮風 そうですか(笑)。
竹本 「いい先生がいて、医者をめざしました」みたいなことを書きましたけど、本当は嘘です。
蓮風 わかりました。先生が2012年4月に開催された北辰会主催のドクターのシンポジウム※でもおっしゃってたと思いますけど、僻地医療について、かなりご興味を持っておられるし実際に実践もされている。その辺りのお話を聞かせてください。
※シンポジウムの詳細内容は、『鍼灸ジャーナル』Vol.27(緑書房刊)に「医師から見た鍼と将来の展望 鍼灸医学は如何にあるべきか」に掲載されている。
竹本 田舎で一人でやらなあかんっていうプレッシャーは大きいんですよね。で、その地域の色んな患者さん、色んなニーズを、やっぱりなんとかしないといけない。「あっこ行ってもしゃあないで」ということになったら、もうそこにいる価値がないので、それほどつらいことはない。なんとかせなあかん、ということで、研修のときから田舎で一人になるというプレッシャーの元で勉強させてもらったのは凄い糧になっています。その結果ですけれど、ちょっとずつ色んな問題が出る度に、それに対して一つ一つ取り組んだんです。異動3年目で田舎に行きました、経験や知識はあまり多くはありませんので、それを一つ一つ積み重ねて行くということでした。
蓮風 例えばそれはどういう問題が起ってくるんですか、僻地では。
竹本 病院では風邪をひいたらこの処方しときなさい、痒(かゆ)い時はこれや、痛かったらこうや、色々そういう勉強をしていくんですけど、実際にはなんやらよく分からんことを言いはるんですね。「背中が熱い」と言うてみたり…。
蓮風 ああ、ありますね。
竹本 そのときの知識では「『背中熱い』って、なんじゃそれ???」と、もうなんのことやらわからんようになってしまう。で、本調べたって「背中が熱い」なんて病気は、ないわけです。そんなんが沢山あったんですよ。で、本当に田舎の人というか、普通の街の中でもそうだと思うんですけど、実際の患者さんの言葉って独特で変なこと沢山言わはるんですよね。そういう時に自分のキーワードに当たらないものは相手にできない。で、不定愁訴と一括りにして…。しかし、こういうことを繰り返していると、これじゃあかんというか、なんとかせにゃならんということになってきたわけです。
蓮風 そうですね。
竹本 素直にこの患者さんというか、人というか…。
蓮風 とにかく、その患者さんが苦痛であるということ自体が病気なんで、そういう視点からすると通常の医学常識にないものがあっても不思議はないんだと。
竹本 そうですね。
蓮風 はい。で、それをなんとか究明しようと。
竹本 そうですね。
蓮風 凄いですね。
竹本 全然究明できなかったんですけど、究明できずに苦しんでいたというのが赴任したての僻地時代ですね。僻地診療っていうのは、田舎の雑貨屋さんというんですかね、鍬(くわ)も売ってるし、食べ物も売ってるし、服もちょっと置いてあったりする。
蓮風 昔は万屋(よろずや)と言った。
竹本 万屋。そういう何でも屋さんをしてるというのが、田舎の仕事かなと思います。
蓮風 それねぇ、私はよく言われるんですよ。東洋医学をやっている先生にも、西洋医学をやっている先生にも「先生何がご専門ですか?」というから、「私はゼンカ(全科)者や」と(笑)。何でもかんでも。それよく似ていますね。
竹本 せなあかんのというか、しゃあないんですわ。万屋としてなんでも置くことが必要なんだと思います。ニーズがあるんだから。
蓮風 そうですね。で、だからこそまた本当の人間像というか、病気とは何かという問題がね、つきつけられると思うんですよね。もう、どうしても病院やったら分科してね、眼科やったら眼科、整形外科は整形外科でやっている。で、実際訴えているのは本人一人なんで、そういう部分を気づかれたというのは非常に面白いですね。で、僻地に行ったらどうしても個人的な付き合いも多くなるでしょ。
竹本 そうですね。
蓮風 どうですか、それは負担になりますか?
竹本 しんどい部分もあります。嫌とかではなくて、隣の人を診なあかん、という意味で負担というか、プレッシャーはかかるし、ありがたいプレッシャーなんですけど…。「あかんかったわ、あの人来ないようになったな」で終わらないところがありますね。「よくしてあげられなかったな」と思いつつ、お祭りとか何かの機会には、また会って話をしたりしますので、「気まずいな」という時もありますし、「上手いこと治してあげられなかったな」という反省もあります。〈続く〉
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