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藤本蓮風さん=奈良市学園北「藤本漢祥院」
鍼(はり)の力を広く知らせる「蓮風の玉手箱」をお届けします。医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の3回目です。前回は医療に直接かかわることだけでなく地域づくりにも関わる僻地の医師の仕事が語られました。今回は患者さんが亡くなったあとの家族とのつながりなど「病気そのもの」だけを診ていても成立しない医療従事者の在り方に話が及びます。これは僻地だけの課題ではないことが浮き彫りになっています。(「産経関西」編集担当)
竹本 救急のとき以外は、数回の診療の中で判断する余裕があることも多いので、慌てる必要はないんです。分からんものはメールでいろんな先生に相談するとか…。デジカメで撮った写真データも送ることもできますので。
蓮風 僕ね、若いころから開業してるんです。21歳ですよ。恐ろしいことに(笑)。そのころも、おじいちゃん、おばあちゃんがたくさん来てました。「よくこける」って言うから足を見たらやっぱり爪が伸びとるんですよ。けつまずくからよく爪を切ってあげました。
竹本 今(私)もよく切ってます。
蓮風 そうですか。一般に医療でないように思うけど、けがをするとか生活のなかで支障があればね、それはカバーしてあげないといけない。
竹本 そうですね。「その靴危ないで!」って言ったりとか。実際の診療ってそういう部分が多いです。今日あったのは、おばあちゃん(の例)ですが、家族から「畑に行ったらあかん」言われてる。どうも、仕事したら後であちこち「痛い痛い」って言うらしい。でも、ご家族に「いやいや、これは、ばあちゃんの生き甲斐やから、とられたら、つらいんちゃうかな」とかそういう話をしました。あまり医療じゃないような部分で、患者さんの問題を何とかちょっとずつ良くするような努力というか…。
蓮風 これこそが実は医療の一部分なんですよね。僕もこないだ認知症、いわゆる昔で言う「ボケ」。非常に活発に動いとったのに、急になんか舌で正しく味を感知できないとか、ちょっとボケた事をするっていう事で来られたんです。よく診てよく問診してみたらほんとは身体よく動くのに「もう年やから動くな、こんなしたら危ないからやるな」って言われてからだんだん萎縮してね。本人もそれが気になったんや。それを私が、その家の方に「この人は体力があるから動ける」って説明したんです。そうして身体を動かせるようにしてもらって、鍼もしたんですけどね、そう時間かからんと普通の人並に治ってきましたね。
竹本 生きがいは大事です。何もするなって、存在の否定ですね。
蓮風 そう。決めつけてやらんとね、やっぱり認知症っていったかていろいろあると思うんですよね。だから本当はそんなにボケてないんだけど、こういう風に周囲が押し込めてしまって。
竹本 家族は厳しいんですよ。遠慮がなくて、娘とか息子とかがまた…。
蓮風 そうそう。
竹本 自分の親やと思ったら好きなこと言いますから。
蓮風 そのあたりが面白いところで、ちゃんと聞いて治療に生かすことがもっと広がれば、いいと思うんです。先生(の活動)は、家庭医としてとか、訪問診療が主になるんですか?
竹本 そうですね。どこから家庭医でどこからが僻地診療かとか、(総合的・全人的に対応する)プライマリ・ケアやとか、このへんの定義は僕もよう分からへんのです(笑)。まぁ結局みんなおんなじ様なことをめざしてやってて、小さな問題も含めて一つ一つなんとか解決しようという方向性やと思います。
また、訪問診療として「看取り」っていう問題があります。だんだんお年寄り増えてきますし、だんだん亡くなる方も増えるんですけど、戦前戦後はお医者さんに診せることもできずに死んでいった人がほとんどで、そういうかわいそうなことをするのではなく、最後は病院で看取ってあげるのがベストやと、そういう価値観が大きくなったと思うんです。しかし今は、だんだん病院もいっぱいになるし、それには医療費もかさんでくるし、患者さんも病院で死ぬ事がそれほど幸せでもないぞという事がみえてきたというか、出てきた。なので、だんだんまた在宅という方向に進んで来ています。
蓮風 我々がね子供のころっていうのは、病院で死ぬよりも家族に看取られて逝った人が多かったように思いますね。
竹本 多分そういう経験がなくなっているんですよ、今。(若い内弟子たちを見て)お家でおじいちゃん亡くなったのを一緒に見てた方とかがあまりないと思うんです。病院に呼ばれたらおじいちゃん死んでたとか。そういう感じが多いんだと思うんですけど。まぁ山添村っていうのはそういう意味ではちょっと古い時代が残っているんです。良い意味で遅れてる。大家族が多くて看取りの文化が残っている。
蓮風 そうか。田舎やからね。
竹本 そうですね。家で死ぬとか、結構元気に病院にも掛からんと過ごしてはるような人っていうのがまだたくさんいらっしゃったりして。
蓮風 焼き場がなくて土葬にするとか。
竹本 本当に今も土葬なんですよ。「あかんようになったら、最後に診断書だけ書いてくれ」って言うぐらいの家もたまにあるんです。こんな所なんで、在宅での看取りには積極的に関わろうと思っています。「癌でもう長くない。痛みもある程度コントロールできたんで後は頼みます」って在宅に帰ってくる方とか、そんな中でいかにこの人のこう最後を…。映画監督みたいな感じかもしれませんけど、周りの人がそういう今の病気の状況を受け入れつつ、良い形で、ありがとう的な雰囲気の中で、見送れる様な環境作りのお手伝いが出来ればと思っています。たとえば、家で死んでいくのを家族が分からない、恐い、どうしたら良いの? みたいなのがありますんで、そういう不安をとっていくような仕事ですね。
蓮風 病院で、いわゆる集中治療室で亡くなるのと全然意味が違うんで。その辺りの人間同士の温め合いの中で亡くなっていくっていうのは、そういう意味では地域医療の方が勝っているのかもしれませんね。
竹本 患者さんが亡くなった後も家族とは会うんですよね。会えるというか。やっぱり地域の中で会ったり、患者さんの奥さんが患者さんだったりとか。そういう事もありますので、家族の思いなんかも後々に聞けたり感じられたり。病気だけでなくて、人生とかそういうものも一緒に併せて診られるような医者になりたいなぁと思いますね。
蓮風 そうですね。<続く>
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