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吉祥院病院内での沢田勉さん=京都市南区

 鍼(はり)の可能性を探る「蓮風の玉手箱」は公益社団法人京都保健会・吉祥院病院在宅医療部長の沢田勉さんと、鍼灸師で北辰会代表の藤本蓮風さんの対談の3回目をお届けします。前回までの2回は紆余曲折という言葉でも表現し切れない沢田さんのご経歴の話が中心でした。今回は整理をする意味もあって、以下に略歴として、まとめました。(「産経関西」編集担当)

 さわだ・つとむ:医師、公益社団法人京都保健会・吉祥院病院在宅医療部長。1947(昭和22)年、新潟県生まれ。同県立巻高校卒業。東洋鍼灸専門学校(東京都新宿区)で学び鍼灸師の資格を取得。74(同49)年、東京都立大学(当時)人文学部(哲学)に入学し79年に卒業。82年に35歳で千葉大学医学部に入学。卒業翌年の1989(平成元)年に医師免許取得、埼玉協同病院(川口市)などで呼吸器科医師として医療に従事。1998(同10)年から吉祥院病院(京都市南区)に勤務し現在に至る。

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 蓮風 先生の経歴や鍼灸師になってから医師になるまでの経緯はわかってきました。(北辰会関東支部から関西の)本部に来られて非常に真面目に学ばれ、週1回、私の治療を受けておられます。まぁ、昨夜もやりましたけど(笑)。こういう(状況の)中で、鍼灸とは、東洋医学とは何だと思われていますか? 医師というより患者の立場からお答えいただきたい。

 沢田 そうですね。私はね、治療してもらって。何かを盗んでやろうということはできない(笑)。

 蓮風 わかってる、わかってる。そういう人じゃない(笑)。

 沢田 私自身が病気で困って、蓮風先生にお願いしたいということで(治療を受けて)もう6年ぐらいになりますかね。60歳を過ぎてからだんだん病気がちになってきたんですよ。たとえば、朝起きたら、いきなり左足が痛い。足を引きずって整形外科行くと、「これ、脊柱管狭窄症の疑い強いね」というようなこと言われて、自分でどうにもならん(笑)。現代医学って不便ですよね。痛み止めを飲んでも別に患部が良くなるわけじゃないじゃないですか。痛みを止めるっていうだけですよね。で、完全な治療は、手術で狭窄したところを取り除くというのが根治療法だというわけですよね。まぁ、そういうご託宣になるわけです。それは困ると…。

 そう簡単にメスを入れたくないということもあったし、あと私は難聴もあったんですよ。突発性難聴が、右をやってそれから1年経ってから左まで難聴になって、そうすると聴こえないんですよね。それもいきなり起きてくるんですよ。そうすると、昨日と今日では世界が変わって、世の中って、こんなに静かなものかというサイレントの世界ですよね。これはえらいこっちゃと…。なんでかというと聴診が…患者さんの呼吸器の聴診ができない。これはちょっと僕も青ざめてしまいまして、藁(わら)にもすがるという感じで、ステロイドの治療法とか1週間集中して…。

 蓮風 ひと通りやるわな、西洋医学は。

 沢田 もちろんやります。なぜかというと、短期で治るケースが結構あるんですよ。ただあの、突発性難聴ってのは1カ月、2カ月と経ってしまうと治らないケースのほうが多くなるんですよ。

 蓮風 よくありますね。

 沢田 僕も焦ったんですね。で、ステロイドを1週間使ったけど治らない。通院してもなかなか治らないということもあって、蓮風先生に相談しました。その時、先生から言われたことがいくつかあってね。「君の身体はとっても疲れている。疲れている人にとっては治療しても効果が十分に出ない。ちょっと生活を考えてみてくれないか」というのが、そのひとつ。

 そのころ60代になってもまだ当直とかやってたんです。病院に宿泊して夜中に患者が来るのを診たりとかね。ある程度の稼ぎになるもんですから、ついついそういうとこ夢中になってやる。そういうことやってたのは僕も反省してね、生活をとにかく改めようと。それから(蓮風さんが診療している)「藤本漢祥院」の(養生指導の)メニューを取り入れたり、朝晩ゆっくりと手ぶらで散歩しなさいとか、言われたことをやってみたり(笑)。

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 蓮風 先生はそういうこと忠実に守りますもんね。真面目やから。

 沢田 割とやったんですよ(笑)。真面目というか、もうそれしか…(笑)。それから、病気ってね、その時自分で思ったのは、苦しんで、なんとか治したいという焦りってね、マイナスなんですね、やっぱり。で、すぐ治るわけじゃないし(回復に)長くかかるし、補聴器も使うと患者の呼吸音も聞こえる事もわかったし「ああ、なんとか仕事ができる」と思い始めてからちょっと気持ちが変わったんですよ。ちょっと楽天的というか、気にしなくなってきた。

 そういうことがあって、12月の終わりごろに難聴になって、全く聴こえなくなって、6カ月経って7月ごろですか、京都の桂川の土手をね、いいお天気なんでぶらぶら歩いて、その時はもちろん仕事以外は補聴器は外してるんですね。で、(病院の寮に)帰って来るとなんかうるさいんですね。ハッと気がついたんですね。あれ、ひょっとして回復しているかもしれないという。でも1週間ね、誰にも言わなかったです。またそんなこと言ってはしゃいでいたら、翌日聞こえなかったらとんでもない話だと。だから1週間は先生にも言わなくて…。

 それからね、その時回復してもあまりうれしくなかったんですよ、諦めていたんですから、あまり気にしないという感じだったから。万歳みたいな気持ちは全然なかったんですね。1週間ぐらい経ってからじわじわと喜びがでてきて、それから蓮風先生にもお話して、「先生、僕の耳は回復しました。」って、嬉しそうに言うと、先生は、「僕もそろそろ回復するんじゃないかと思っていたよ」と簡単におっしゃられて。そういう風なことがありましてね。病気って治すものだし、治るものなんだと思っているけれども自分がいざ患者になった時に、治るというのはすごい感激でしたね。

 蓮風 それはやっぱり先生、大きいですね。

 沢田 大きいですね。だから医者が患者になるっていうのは悪いことじゃないです。<続く>