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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の7回目となります。今回も前回に続いて宗教の話題で、特に仏教に焦点が当たっています。テーマは「いい加減」。「いいかげんな奴」というと、無責任な人間というニュアンスで使われることが多いですが、そうではなくて仏教では大切な考えだ、という、お話です。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 釈尊…お釈迦さんは、もともとは王子様でしたよね。

 佐々木 ものすごく贅沢な暮らしをしてたわけですよね。結婚もして子供も生まれて。

 でも「これではだめだ」ということで、出家して、その時…最初はバラモン教ですから、ものすごい難行苦行をやったんですね。極端に走ったんですね。難行苦行をやって悟りを求めて、だから今も像が残っていますけど、ガリガリの身体になってね。

 蓮風 そうですね、ガンダーラ美術の仏像にも、その姿が残っていますね。

 佐々木 極端に走ったわけですよ。それが魅力的なのは、この現代に通じる都市文明といいますか、贅沢なものも経験したし…という背景があるわけで、今度はもう極端に難行苦行に走ったわけです。でもこれで、それではダメだということになった。苦行をして生死の境にあるような中でスジャータという娘さんに、牛乳、あるいはお粥、いずれにしても動物性タンパク質を貰って心身ともに回復して、悟られたわけです。スジャータという今ある有名なメーカーはそこに感動してスジャータという社名を取り入れたらしいです。それから…。

 蓮風 享楽と苦行と、その両方とも偏るのがあかんのであって…。

 佐々木 そうなんです。そこでお釈迦さんが、「中道(ちゅうどう)」といいますね。ただ中道というとまたイメージが中途半端な、こことここの真ん中ぐらいを取っているような感じです。でも、そうじゃなくて、もう本当に丁度「いい加減」ですよね。「良い加減」といいますか。悪い意味ではなくて、本質でいうと…。

 蓮風 ほどほどに、ということですね。

 佐々木 そうです。だからこれは中国でいう「中庸(ちゅうよう)」ですね。

 蓮風 はい。中庸ですね。

 佐々木 中庸とほぼ通じる考え方かもしれません。

 蓮風 向こうの聖人は「中庸は徳の至れるものあり」と言ってますよね。

 孔子の『論語・雍也篇』に「子曰く、中庸の徳たる、それ至れるかな。」とある。何かをするのにやりすぎてはいけない。そうかといってやらないのも良くない。ほどほどに行動することが、最高の人徳であるという考え。(「北辰会」註)

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 佐々木 これは、だから、結局「自力」も「他力」も、大事だけども、本質はやはり極端なことに走るのではなくてね。で、身体をいじめ抜いてする修行は本質じゃないんだと分かってもらえると思うんですけど…。この中道という考え方がいま、曖昧な中途半端なというようなとらえ方をされているかもしれませんね。

 蓮風 物事を一面的に捉えるんじゃなしに、いろんな世界を認めた上で、ほどほどに位置をとっていくというんでしょうかね。

 佐々木 そうですね。だからほどほどっていうのは、良い加減というやつは大事ですよね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 それはでも確かに…。

 蓮風 なんか世間ではね「ええかげんや」ということに繋がってきますからね。
 

 佐々木 もとは「ええ加減」という言葉は良い言葉です、関西弁のね。ちょうどいいところという本質をつかんでいるということで。だから僕はそこらへんが、すごく大事なんだと強調したいですね。

 蓮風 お風呂の温度でも、いいますね。「良い加減ですわ」って。あれがぴったりなんですね。

 佐々木 ぴったりなんです。だから結構、仏教ってそういう生活に根ざしてます。ですから、そこら辺は今でも言えると思うんですけどね。〈続く〉