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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の第9回をお届けします。前回は日本に“移植”された「西洋医学」と、その背景にある「個人主義」との齟齬について話が進みました。今回は農耕民族の共同体意識がテーマです。仏教ですら日本的に変容して拡大してきた実情が説明されています。それは単純な日本民族の特殊性ではなく、風土が生んだ人間の身心や生活形態の自然の流れとも言えそうです。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 個人主義の話をうかがっていて今、パッと頭に浮かんだんですけど、僕が子供のころに「とんとんとんからりと隣組♪」っちゅう歌がありまして「あれこれ面倒味噌醤油♪」…それを助けられたり助けたりっちゅう、そんな内容なんですよ。あれは先生がおっしゃる共同体意識が非常に強い発想だなと思うんですよね。だから昔は家でもあんまり鍵掛けてないですよね。今はもうマンションなんか入り口からオートロックで、みんなパシャッと掛けてるけども。

 1940年(昭和15年)ごろから、戦時体制において導入された制度の一つである「隣組制度」を宣伝啓発する内容の歌。隣組制度は廃止されたが、メロディーが陽気であるため戦後も歌われNHKのテレビ番組の主題歌としても使われた。(「北辰会」註)

 佐々木 そうそう、僕の田舎ですとね、お葬式を仕切るのは特に隣組ですね。いわゆる隣親戚といわれるものですけども、本人も血が繋がった親戚なのかわからない、昔からここは親戚やと言われてる。

 蓮風 そうそう。

 佐々木 葬式になると一所(ひとところ)にまず集まってきて、どうやろかっていうことで、みんなで助け合う。互助体ですね、いわゆるね。

 蓮風 互助体ね、あの頼母子(たのもし)とか。

 日本の金融の一形態である。複数の個人や法人等が「講」などの組織に加盟して、一定又は変動した金品を定期又は不定期に講に対して払い込み、利息の額で競合う競りや抽選によって金品の給付を受ける。地域によって「無尽」「無尽講」「頼母子講」等ともいう。(「北辰会」註)

 佐々木 そうですね、ですから冠婚葬祭すべて共同体で取り仕切っているっていうのがやはり日本の伝統ですよね。ところがその中に個人主義が入ってきます、戦後…。そうすると、わけが分からんようになって、日本人にとっちゃ。なんか個人主義っていうと先生がおっしゃるように一人でなんかやるのか、あるいは悪い意味で言うと利己主義的な、自分が勝手にやるのが個人主義だという間違った認識というか…今でもそうなんですが、そこらへんのズレみたいなものが、まだあるんだろうなと思いますね。

 蓮風 やっぱりねー、さきほども、ちょっと申し上げましたが、人間は生きてるんだけども、後ろから支えられているという意識と、いや何が何でも俺が生きてるんだというのと、大きな違いができてくる。これも一つの宗教性かなと思うんですよね。

 佐々木 そうです、そうです。

 蓮風 極端に論を展開してみると、農耕民族というのは嫌でも共同体でないと集団や社会が維持できないですよね。狩猟民族とかそんなんも、ある程度共同体でないとできないけど、農耕民族ほどじゃない。農耕民族は、いつ種をまいて、いつ収穫して、いつ肥やしをやるかっていうことを心掛ける。それから発達したのが暦なんですよね。それが実は易経の思想の根本的な部分になってくるんやけども、そうするとどうしてもこの共同体的な発想でないとできない。

 佐々木 仰る通りですね。
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 蓮風 で、この個人主義が発達するとセルフィッシュになって利己主義というか…。

 佐々木 そうなってくるんだと思うんですよね。僕も、先生は極端とおっしゃいましたけど、農耕民族と共同体の関係はその通りじゃないかと思います。だから浄土真宗がですね、あれほど日本で広がったっていう事実。実際、織田信長がもし徹底的に弾圧をしなければおそらく、歴史学者も言ってますけど、浄土真宗の、まぁ日本が一つの宗教王国みたいになってた可能性もあるんですよね。

 蓮風 はいはい。

 佐々木 なぜそんなに広まったかっていうと、一つはお釈迦さんっていうのは、どちらかというと個人主義的なところがあるんですよ。都市国家で生まれた都市仏教なんですよね、お釈迦さんの仏教というのは。けっこう個人主義的な、自分の心をどう捉えるかに主眼を置いているんです。

 蓮風 そうですね。原始仏教典に『ダンマパダ』というのがありますね。

 『ダンマパダ』(Dhammapada)は、原始仏典の一つで、お釈迦さんの発言録の形式を取った仏典である。ダンマパダとは「真理の言葉」といった意味。原始仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。漢訳されて『法句経』(ほっくぎょう)として日本にも伝わっている。(「北辰会」註)

 佐々木 そうですね。

 蓮風 あれなんか見ても必ずまず自分がどうならないかんかということを説いてますね。で、みんなでやるっちゅう発想じゃなしに個人がまず救われること、個人が修行して解脱するとかね。

 佐々木 だから今アメリカ、日本でもそうですけど、お釈迦さんの教えを支持する声が広がっている理由として、個人主義的な要素はあるんですね。ただ日本の伝統っていうのは農業…いわゆる、農村ですよね。それにやっぱり浄土真宗っていうのは(日本人と)波長が合いやすい。その共同体の中で、みんなで手を合わせて、支えあって生きていこうっていう、まぁいわゆる「ご縁」というものですね。

 蓮風 うんうん、そういう話聞くとよく昔連れて行ってもらった「報恩講」っちゅう、あれがまた良いんですね。あの「報恩」っちゅうのは恩に報いるですから、これはもう仏様に報いるためにね、あれがまた独特の雰囲気ですね。

 佐々木 そうですね。

 蓮風 それを開催すると子供も、みな連れて行かれて、お菓子やなんや貰ってね。子供にとってはそれが一番嬉しくって、みんなでガヤガヤやってる雰囲気がね、忘れられませんね。

 佐々木 これはもう浄土真宗の最大の行事ですね。

 蓮風 そういうことですね。これを忘れたら浄土真宗じゃなくなりますね。

 佐々木 だからやっぱりその日本の伝統って言うんですか、一番やっぱり原点っていうのは先生が言う農村での人と人との繋がり、人と人とが繋がっていないと生きていけないんだっていうことになってくる。実際そうですよね。農業は一人でできないんで。だからそこが日本の原点みたいなところかなと…。<続く>