蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

カテゴリ: 関西外国語大学名誉教授・小山揚子さんとの対話


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 初回公開日 2012.8.4

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藤本蓮風さんとの“つきあい”は長いという小山揚子さん

 
 鍼灸師の藤本蓮風さんが各界の著名人と現代社会の中での「鍼(はり)」の役割を考えてきた「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回からは関西外国語大学名誉教授の小山揚子さんが対談のお相手です。小山さんは1年前にこのコーナーが始まったときにゲストとして登場してくださった国立民族学博物館名誉教授の小山修三さんの奥様で、ご夫婦で蓮風さんの治療を受けてらっしゃいます。

 

 長年、外国人に対する日本語教育の実践や研究に携わってこられた小山揚子さんから見た鍼灸とはどのようなものなのでしょう。古くから蓮風さんをご存じなので、こぼれ話も出そうです。

 

 まず、そんな“玉手箱”を開ける前に小山さんの略歴をご紹介しておきますと…。

 1941年に茨城県水戸市でお生まれになり、国際基督教大学に入学。同大学大学院教育学部視聴覚教育科に進まれて教育学修士号を取得。米国やオーストラリアの大学の夏期日本語学校講師などを経て1980年に関西外大の非常勤講師となり、助教授、教授を歴任。1999年2月から1年間休職をしてオーストラリア国立大学で日本語教育と研究に従事し関西外大に復職されたあと、2007年に定年退職されました。

 

 では“玉手箱”を開きます。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」へようこそ。

 

 小山 お呼びいただきましてありがとうございます。

 

 蓮風 今日は本当に楽しみにしていたのです。先生は長らく私の治療院に来ていただいて、もう人間としての藤本蓮風すべてを見られていると思うし、僕も先生を患者さんというよりも、親しくひとりの人間としていろんな面を見させていただいて勉強になっているわけですけれども、今日はね、患者さんという立場で自由に喋っていただきたいというのが私の本音であります。もちろん先生は、大学で外国人に日本語を教えておられたので、その中で、また色んな人を見ておられると思います。そこで、実は人間というのは、こういうものなんだというお話もいただくと、我々臨床家にとっては、ものすごく勉強になるので、何か面白いお話があれば、よろしくお願いいたします。

 

 小山 はい。

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 蓮風 では1番目のテーマですが、先生は長らく大学で教鞭を取っておられました。そこでのお身体の具合はどうでしたか?

 

 小山 同僚や学生は私のことを非常に元気な先生だと思っていたと思うんです。留学生相手で、まぁ留学生はそれぞれ自分のお金と時間を使って日本に来るわけですから、来て良かったと思われるように、授業の準備だとか、いろんな工夫とかを目いっぱいやって、わりと頑張っていたと思うんです。若い頃はその頑張りがずっと続いたんですけれど、30代の終わりから40代にかけて、学期の途中に潰れるんですよね。朝起きると起き上がれない、起きたら吐き気がする、だけど授業は穴を開けられないという感じで…。とにかく医者に行くと、極度の疲労だと言われて、手に余るような薬を持たされるんですよ(笑)。それで主人(国立民族学博物館名誉教授の小山修三さん)が「こんなに薬飲んだら、殺されるから」と言ってました(笑)。 

 

 まぁそれまでも肩こりがひどかったので、近くの鍼灸院でマッサージを受けていたんで、そこに行ったんです。とにかく授業に行けるようにしてくれと言ったら、お灸をしようと。で、お灸も色々な方法があるけれども、皮膚に傷をつけないような方法もあるけれども、これはもう直接やったほうがいいと仰って(笑)。 で、授業終わったら、そこへ行って、お灸をしていただいて、それでまた家に帰って寝てるという生活を1週間続けましたら、ある時に、身体中の体液がぐるぐるぐるぐる音を立てて回るような感覚があったんです。

 

 蓮風 ほう。

 

 小山 で、それから吐き気もなくなったし、起きられるようになって、ああ私ってわりかし、東洋医療に体質的に向いているのかな、というので、こちらの藤本先生をご紹介してくださる方がいらしたんです。その頃はまだ(現在の奈良市学園前ではなく同市内の)菖蒲池(あやめいけ)の…。

 

 蓮風 そうそう、だからもう(患者として)古いんですわ。

 

 小山 そうそう(笑)。だからもう30年以上になりますか…。菖蒲池の治療院は、小さい所だったから、予約を取るのにもすごく時間がかかるんです。もうすごく待つ。具合が悪くなってからでは間に合わないので体調のいい時に予約を申し込んで何カ月待ちで診ていただいて。

 

 蓮風 こんな偉い先生ならもっと早く入れてあげれば…(笑)。

 

 小山 いえ(笑)、それ以後は私がわがままを申しまして、関西外大の友達とか主人とか、「もうここに入れてください」とか「先生、今日入れてください」とか無理強いしてます(笑)。それからのおつきあいですね。これはねぇ、体質というか、子供の時からそうだったんですけれど、頑張り屋で学校行っている間は非常に元気で、休みになると寝てたんですよ。だから、お祖母さんがこの子は弱い子だと言って、よく湯治に連れて歩かされました。

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 蓮風 先生、ご出身は東北ですか?

 小山 生まれたのは茨城の水戸なんですけれど、たまたま叔父や祖父が東北で仕事をしていましたので。

 蓮風  そうすると温泉が多いということですね。
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 小山 そうですね。でも冬はやっぱり伊豆の方に来てましたね。

 蓮風 そうですか…。

 小山 で、「七日帰り」はよくない、と言うので、必ず十日以上、温泉で湯治してました。

 蓮風 温泉はよく効いたでしょう?

 小山 はい。そうだと思います。

 蓮風 僕は長く診させてもらっているけれど、結局、先生はもともとあんまり丈夫じゃない。だけど、勢いがいいから、勢いでやる。そうすると後でガクッとなる(笑)。そういうタイプの方で。

 小山 確かに(笑)。

 蓮風 本当に気持ちが勝ってらっしゃる方で。身体はその割に丈夫じゃなかったんですね。だからそういう方にはやっぱり温泉で心と身体をほぐすのは非常に良いことだと思うんです。鍼もそれに近い働きをしていると思うんですけどね。

 小山 子供の頃、よくしもやけができたんですけれど、温泉に行くと治りましたし。だから普段は元気にしてるんで、周りの人からはとても元気な人だと思われていたでしょうね。
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 蓮風 ご主人の修三先生は「わしは按摩ばっかりさせられた」と言っておられましたが(笑)、まぁあんまり丈夫じゃなかった。けれど気持ちで勝って生活しておられる。それはたぶん大学での教鞭やなんやで無理なさったと思うんですよ。でもまぁ、この間ちょっと膝の故障で大きく問題になったけれども、いわゆる大病はしておられない。

 小山 そうです。病気になる前の状態、未病の状態というんですか、未病の状態で微妙な身体のバランスを取って頂いて、大病にならずにここまで来られたというのは本当に感謝しております。

 蓮風 先生のお言葉で言うとね、「微調整お願いします」といつも仰ってたんです。そう悪くないんだけれども、微調整やってもらうと、後がすごく楽なんだということをしょっちゅう仰ってましたね。

 小山 だから治療院来ると、待合室で皆さんがどこが悪いとか、いろいろお話しなさってらして、そういった意味では私はどこも悪くないので、肩身の狭い思いをしておりました(笑)。

 蓮風 あの実はね、そういう方は結構多いんです。でもそういう方が病院に行っても、「あなたどこも悪くない」って言われるんです、残酷なことに(笑)。ところが東洋医学から言うと、それは立派な病気であって。陰陽の幅が狭いんだな。幅が狭い中でなんとか調整してる。だから大きく揺らがないけれども、しょっちゅうバランス取らないとダメなんだな。それが肩こりとかに出とったんですね。

 小山 でも不思議と、先生のところにかかるようになってから、それまでは肩こりとかでしょっちゅう按摩に行ってたんですが、その症状がなくなったんですね。たまに温泉なんかに行って、按摩さんにやってもらうと「結構、凝ってますよ」と仰るんですが、意識としては凝ったという意識がないもんですから、先生にかかり始めてからは、いわゆる按摩・マッサージには行ったことはないんです。

 蓮風 修三先生は「わしが助かった」と言ってました(笑)。〈続く〉

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藤本蓮風さんが奈良・菖蒲池で開業していた当時の「藤本漢祥院」。

1970年代半ばの写真だそうです。

 

「鍼(はり)の知恵」について考える「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸師の藤本蓮風さんが関西外国語大名誉教授の小山揚子さんをゲストに迎えての対談の2回目です。患者として、そして友人として蓮風さんを見てきた小山さんが蓮風さんに寄せる信頼感が今回も伝わってきます。病院では患者のためを思って検査をしてくださるのでしょうが、かなり苦しいケースがあるのも事実です。入院をして安静を命じられているにもかかわらず、検査を受けて、ぐったり、という経験のある方もいらっしゃるのでは…。検査が大切なのは言うまでもありません。でも身体の部分だけをみて本当に人間の病というのがわかるのでしょうか、この連載は、そんなことも考えていただくための企画です。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 この建物(奈良・学園前の藤本漢祥院)はもう18年経つんです。その前に確か私が臨床を始めて30周年のとき(大阪・中之島の)ロイヤルホテル(現・リーガロイヤルホテル)で記念のパーティーをしたとき、お祝いに来ていただいたんですよね。ご主人(小山修三・国立民族学博物館名誉教授)が治療にいらしたのはずっと後なんですよね。
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 小山 はじめのうちは、私が鍼に行くと言うと「鰯の頭も信心」とか言ってたんですよ(笑)。

 蓮風 (笑)

 小山 ある年(修三さんの体調が)「ん?」という感じになって、その時すぐ、藤本先生に「この時を逃したらもうないから、今晩入れてください」って(修三さんの)治療の予約を無理やり入れていただいて(笑)。それ以来、主人のほうが先生とつるんで何かしてて…(笑)。

 蓮風 つるんで(笑)。(小山揚子さんは)身体の微調整で治療に来られていたということですね。やっぱりこれだけ西洋医学に囲まれながら、鍼に来られたというのは、何でしょうかね。

 小山 歯医者さんは西洋に行きますけれど(笑)。やっぱり西洋のお医者さんに行くと、まず、ありとあらゆる検査をされますよね。検査というのは案外体力がいるし、検査の結果を見て、人の顔見ないで「ああだこうだ」と仰るので、それよりかは藤本先生に脈や舌を診て頂いただいて鍼をしていただくほうが負担はすごく軽いんですよね。

 蓮風 そうですね。たしかにねぇ、検査しないとわからん、って言うんだけれど、検査自体がもう受けるのしんどいっていうのが、これはもう現実ですね。

 小山 そうですよねぇ。

 蓮風 結構、そういう人多いんだけれども、医学はあれしかないと思い込んで信じ込んでる人もいるんで…。

 小山 私が勧めてここに連れてきた方は、私のことをよく見てて、ああそういう方法もあるんだと思って来てらっしゃるんだと思うんですけれども、でもやっぱり医者に癌(がん)だとか言われたら、切るとかねぇ、そういうのはどうしても…。

 蓮風 だから長く来ておられる中で、身体が弱いなりにバランス取ったもんやから、いまのところ癌とかは一切なかった。

 小山 今は癌の治療でも、免疫治療とかありますけれど、リンパ球を取ってそれを培養してそれをまた身体に戻してというような、なんか非常に無理な方法ですよねぇ。

 蓮風 あれもね、まだ実は完成品じゃないですね。現在も免疫だ免疫だ言うわりに、免疫療法はあんまり展開してないんですよね。

 小山 ええ。癌なんかである程度進んでしまうと、西洋医学って案外見捨てるんですよね。もう本当に色んな方法を考えてやるけれど、ちっとも効かなければ見捨てられちゃう。やっぱりもうちょっと前に他の方法もあるということを気づければ…。

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 蓮風 私のところへ何十年単位で来られている人は結構多いんですよ。その人たちに共通することは何かと言うと、まず癌のような大きな病気にかからない。(小山さんの前に対談した医師で僧侶の)佐々木(恵雲)先生のお話によると、しょっちゅう癌は起こっていて、それをうまく消しているのが免疫なんだと仰ったのですが、とにかく病気しない。揚子2-8

 小山 ほんとに未病の状態なんですね。

 蓮風 癌はあるのかもしれないが、切らないといけないとか、放射線当てなきゃいけないとかいうことになった人は少ないんです。殆どと言っていいですが、ならないんです。だから私、21歳で大阪・堺市で開業して、10年やって、うちの親父が(奈良市内の)菖蒲池(あやめいけ)に家を建てたから「お前、入れ」って言うんですよ。あの人も大阪、西成でやってまして。でもまぁ菖蒲池は環境がいいし、その当時、子供も小さいし、いいかなぁと思って行ったんです。堺からは50キロくらい離れてたのに、大体患者さんついてきてくれたんです。

 小山 そうです。私、最初行った頃、みなさん堺の方で、色々話を伺いました。とくにあの頃は治療するスペースと待合室が違う階だったので、先生に聞こえないので色んな話を聞いて…(笑)。

 蓮風 だからもう、50年近くやってるんですが、ずっと来てる人たちは、脳へ来たり、心臓へ来たり…。癌になったりする方はほとんどないですね。だから、「先生の所へ通える間は私は元気でおると思います」と言われたり、ひどいのは「あんたは若いから、長生きしなはれ、私のために」と言われたり(笑)。

 小山 私もそう思ってますけれど(笑)。

 蓮風 だけど、それは医者と患者の間ではものすごく有り難いことですねぇ。

 小山 やっぱりなんていうか、信頼関係というのでしょうか。主人に言わせれば、「鰯の頭も信心」なんですけれども、やっぱり先生と患者さんとの信頼関係が大きいと思いますけどね。

 蓮風 そうですねぇ。まぁひとすじに自分の身体を任す、任せられたからこちらも一生懸命やる、というような信頼関係でしょうねぇ。それと、どうですか、沢山お薬もらってはったけれど、薬はあんまり飲まんようになりましたか?

 小山 全然飲みません。とにかく、もうもらってきた時に殺されると言われ(笑)、それ以来、歯医者さんでも痛み止めとか化膿止めとかもらいますけれども全部なしで過ごしてます。ただ、長い旅行に出るときに、漢方専門の薬局で「香蘇散」を処方してもらってます。

 蓮風 香蘇散というのは、漢方の専門書では「理気」といって、気をめぐらせる作用が中心ですね。温泉に入って気血のめぐりが良くなるのと似ているということでしょうね。〈続く〉
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 対談中の小山揚子さんと藤本蓮風さん=2012年4月11日、奈良・学園前の「藤本漢祥院」

 鍼(はり)が持つ本当の力を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。これまでに鍼灸の治療を受けたことがある方はどのようにして鍼灸院を選ばれたでしょうか? たとえば風邪がひどくなったので、とりあえず勤務先の近くにあった医院に入ったという場合とは違うケースがほとんどではないでしょうか。つまり知人の紹介とか、家族が代々受診しているとか…。信用できる情報の裏付けがないと躊躇しますよね。今回、関西外国語大学名誉教授の小山揚子さんと鍼灸師の藤本蓮風さんが繰り広げているのは、そんなお話です。なぜ、躊躇するのかという私たち“素人”の気持ちをうまく代弁してくださっています。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 2005年の、ある学会誌に掲載された研究調査論文によると、2003年の調査では全国民の7%しか鍼灸を受けてないんです。

 小山 ああそうですか。でも全国民の7%は受けてるんですね。結構、受けてますよね。

 蓮風 でも全体から見たら微々たるものですよねぇ。だから、もっと多くの方に鍼灸のことを知ってもらいたい。知って、わかっていて受ける受けないは本人の自由だと思うけれども…。

 小山 そうなんです。

 蓮風 知らんとね、本当はパッと治るのに治らないとか、場合によっては、やっとけば死ぬようなことはないのに、亡くなると、実に悔しい。だから、この「玉手箱」の連載のようなことで啓蒙をやっているんです。

 小山 ええ。

 蓮風 この間、面白いことがありましてね。患者さんで、もうホンマに赤ちゃんの時から診ていた女の子なんですが、突然やって来ましてね。「どうしたんだ」と聞いたら、歯医者さん行って、歯茎を切開してもらった。それから炎症がひどくなって、リンパが腫れて口が開かなくなった、と言うんです。それで、背中に1本鍼をして、それ2~3回やったら、かなり良くなった。歯医者さんにしたら、「これ以上治らなかったら、歯科大にやらないかん」と説明していたらしい。抗生剤はもちろん使っているわけなんだけれども、全然効かない。よく尋ねてみたら、ものすごく疲れていたところへ、お父さんが脳梗塞で入院してどうやら看病していた…。そういうことから言うと、薬も、ある一定の条件がないと効かないのではないでしょうか。(前回に)先生が仰ったように「癌(がん)もある程度まで行ったら、医者は相手にしない」というようなことに近いような部分がありますねぇ。

 小山 そうだと思います。

 蓮風 だから僕に言わすと、病気というものの背景には必ず「疲労」がある。だから「疲労さえ取っておけばその病気になっても軽く済むだろうし、(大きな病気に)ならないことが大方なんだ」という論を持っておるんです。(患者も)鍼のことを知ってるのと知らないのとで、また経過も違ってくるでしょうしね。その女性の患者は、子供の時に鍼を受けていた。その時に鍼で助けてもらったという想いがね、にっちもさっちもいかんようになった時に、ここ(藤本漢祥院)まで引っ張ってきたんでしょうね。

 小山 西洋のお医者さんっていうのはまぁ、よっぽどの大変そうな手術でもない限り、そのへんの町医者に行きますよね? それも不安なく行けますけども、鍼灸というのはなんとなく、ちょっとそこのところが…。「さて、どこ行っていいのか?」という感じです。もちろんお医者さんだって良いお医者さんはいるし、ヤブもいるんですけども。鍼灸の場合は良い方と、いい加減なところの振幅が大きいような気がします。揚子3-5
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 蓮風 我々専門家でも、そう思います。だから患者さんを啓蒙しているわけなんですが、同時に内部の改革というか教育が必要なんです。はっきり言って我々の医学には『黄帝内経』という2500年前のバイブルがありまして、これにのっとってやるというのが漢方医学なんですよ。学校ではそれすらも教えない。

 小山 先日読んだ朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」に掲載されてる「テイ先生の診療日 東と西の薬談義」によると、昔は弟子入りしたら掃除洗濯から飯炊きまでしなくてはいけなくて、なかなか教えてもらえない。それが採用かどうか決める面接にあたる。会社の入社試験は5分から30分くらいの面接で決めるけれど、自分のノウハウを全部教えるのに足りる人間かどうかを何年とか何十年かけて見定める。それでやっと、っていう感じで。でも、それだとねぇ…。

 蓮風 ここ(藤本漢祥院)では内弟子制度をとっているわけですが、一般的な教育と違って、本当に患者さんを守るということであれば、やっぱり師匠と一緒に暮らすということ(の効果や影響)がかなり大きいみたいです。だから、現代の漢方医学を得意とする中国もですね、医大をようけ作ってそこで沢山医者作ったけども結局役に立たんと…。

 小山 あーそうなんですか。 

 蓮風 だから中国でも、一流の先生が縁あって受け入れた人を内弟子みたいに教育する。それで、なんとか名医を残そうとやっとるみたいですねぇ。でも、それも限界がありますわね。

 小山 だからやはり、町医者に行くような感覚では東洋医学の先生のとこには行けませんね。誰か知ってる人があそこ行ったらいいというような。

 蓮風 口コミですね。

 小山 口コミでしか行けないですよね、診てもらう方にとってはね。

 蓮風 まぁネットみたいのがね、流行りだしてネットで調べてくる人も多いですけど、基本口コミですよね。

 小山 そうですね、大体そう。

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 蓮風 特に西洋医学と違って学問は学問だけれども、非常に感覚的なものを重視する医学ですからね、それに見合った人物かどうか、見分ける、その人物にいい先生がついて教える、というのが本当だろうと思うんですよね。ところが今そういうふうになっていない。そういう意味では、うち(藤本漢祥院)は非常に古い制度を持っているわけで、非常に意味があると思うんですけどねぇ、先生。

 小山 でもやはり今の内弟子さんが日本全国に散ったとしても、診ていただける確率は低いですわね。街のお医者さんを特別に選ばないで、スっと行けるような感覚で鍼灸院にも行けるようになればと思います。

 蓮風 それはもう患者さんの立場からしたらいいことでしょうね。我々も、鍼灸自体が一定のレベルに達さないとモノが言えないという気もする。しかし、いつも言うんだけれども、いい品物を作るにはいい品物を褒めて買ってくれる消費者がおらないかん。そうすると、ささやかだけど、我々みたいな人間が一人ずつ患者さんを治すことによって消費者というか、そういった人たちの間に鍼灸への理解を広げていくのも一つの方法かな、って思うんです。

 小山 最近、ようやく西洋医学以外の治療がマスコミで紹介されるようになり、間口が広がってきていると思います。

 蓮風 そうですか。そう言ってもらえて非常にありがたいですけどもね。まぁ沢山…70万人近くの患者さんを診ているんですけども、やっぱり鍼は素晴らしい。西洋医学と比べれば比べるほど素晴らしいという風に思えるんですよ。だから生きてる間に叫んどかないかんというのはあるんです。ちなみに先生と僕は同い年ですよね?

 小山 先生の方がお若いです、私、昭和16年です。

 蓮風 あーそうですか。これは失礼しました(笑)。同い年かと…失礼しました。〈続く〉

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対談中の小山揚子さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良・学園前の藤本漢祥院

 「蓮風の玉手箱」は関西外大名誉教授の小山揚子さんと、鍼狂人・藤本蓮風さんの対談の4回目をお届けします。今回は小山さんが東洋医学を含めた現代の医療を一般人の立場から“診察”するといった趣向です。患者にしてみれば、医の東西を問わず「とにかく治してくれればいい」というのが本音。とはいえ、東洋医学についての信頼できる情報が充分な状況ともいえず、結局は治療を受けるための有効な選択肢が多いのか少ないのかの判断すらもしにくいのが実情。そこで必要となってくるのは…という、お話です。(「産経関西」編集担当)

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 小山 4月に(北辰会の主催で)若手ドクターが東洋医学の可能性を探るシンポジウムが開かれましたよね。参加した先生方がおっしゃっていたのはやはり、マニュアル化の必要性だったと思うんです。キチっとしたコースワーク設定し、それを修了したら国家試験を受けて、というふうな形で鍼灸医とか漢方医としてスタートにつく教育が必要なのでしょうね。

 蓮風 国公立大の医学部では漢方の講座があるんですよ。漢方医学というのは漢方薬と鍼灸が基本なんです。まぁ按摩とかもあるんですけど、そうするとね、漢方薬治療の学問があって鍼灸の学問がないのはバランスが悪い。北辰会はそのために医学部で説けるような学問作りをやっています。

 小山 結局、この間のシンポに参加した西洋医学のドクターのように東洋医学に理解があるという先生が増えれば…。

 蓮風 彼らはね学問のプロですわ。医学部に入るのがまず難しい、入ってからも大変膨大な学問をやる。そういう意味では学問のプロです。だからああいう人たちにどんどん鍼を持っていただいてね。レベルの高い鍼灸を作ろうと思うなら、ドクターが持ったほうが早いと思うんですよ。怪しげな、勉強もせん、能力もない、自慢ばっかしてる、そういう鍼灸師が情けないことに多いんですよ。それを何とか改革するにはね、僕は大学の医学部で講義できるような鍼灸学を作らないかんと思っている。某医大で統合医療やってる先生がいて、その先生とも親しくしてるんですがね…。

 小山 統合医療必要ですよね。
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 蓮風 はい。統合医療も色々問題はあるんですけど。鍼灸もその中に入ると思う。医学部で本格的に学問として取り上げるというのは大事だと思うんです。ただね、西洋医学みたいに簡単にマニュアル化できないのは、技の面ですね。西洋医学はどっちかっていうと技とか名人芸ではないようにしようという方向に行っておりますよね。東洋医学はそれを捨てたら何も残らない(笑)。ちょうど藤本蓮風から酒取ったら何も残らないという(笑)…そういう関係があると思うんです。西洋医学はスッと学問化しやすいけども、東洋医学はなかなか難しい。だけど、やらなくちゃいけないというジレンマがあります。一生懸命教科書を作って、ドクターでも抵抗なく受け入れられるような世界を構築しつつはあるんですがね。健気にも(笑)。

 小山 期待しております。

 蓮風 他に何か(医療について思うところは)ありませんか?

 小山 やっぱり医療の根本は保険ではないかと思います。これが大きな問題になってくると思います。

 蓮風 日本国民はそれは大きいと思います。ただ世界中を見るとアメリカでも全部皆保険というわけじゃない。

 小山 そういう意味では保険とかは日本の方が進んでますね。

 蓮風 やっぱり医療であれば平等に受けられるべきだっていう前提があれば。保険っていうのは大事なことですよ。ただ(鍼灸で)それをやるためにはね、やっぱり一定のレベルに達して誰もが「あぁ確かにこれは医学だな」と言うところまで持っていかんと。でもだいぶ先は明るいかなという感じですけど。

 小山 動いているから先が明るいんじゃないでしょうか。現在は西洋医学一辺倒という考え方が多いんですよね。しかし、それを信じて任せたのに最後の段階で見捨てられるというような例が私の周りにもあります。癌(がん)なら癌になったときに自分で色々勉強すればいいんでしょうけれど、どうしても西洋の医者の言ったことを信じてしまう。そこらへんのところをもう少し啓蒙するというか。最近色々癌は切らなくてもいいとかという本が出ておりますね。
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 蓮風 結局患者さんの教育ですか?

 小山 患者が様々な治療法を知り自分で選択するような教育は必要だと思います。

 蓮風 そういうことですね。西洋医学の本は、素人向けのマニュアル化されたものはありますけども、東洋医学に関する本は、一般素人向けに本格的に書かれたものはあんまりないですからねぇ。ですから私もボツボツ書いてはいるんですけども。

 小山 だから西洋医学の先生が「天命を全うしたければ医者に行くな」とかっていう本は書いてらっしゃいますよね。だけどじゃぁ東洋医学ってわけじゃないですよね。だから東洋医学をもう少し一般の庶民にわかりやすい、こういう本もあるんだ、読んでみようか、とか、その知識を頭の片隅に置いといて、いざ自分がそういう立場になったときにこういうのもあったなぁって思い出せるように。

 蓮風 一般人向けの東洋医学講座っていうのは必要ですね。

 小山 それこそ、なんとかカルチャーセンターみたいなものでも。

 蓮風 あぁいうのをもうちょっと上手く利用してやるべきなんですよね。色々患者さんの立場を中心としてご発言いただいて非常にやっぱりそうかなと再び気づかせて頂くんですけども、西洋医学は極端に言えば数をさばくというところがありますね。我々の場合はせいぜい私がやるには限りがあります。だから比べれば問題にならない。東洋医学の場合は個人医学というか、ひとりひとりを何とか把握しようとしているし、西洋医学は個人個人も意識はしているけども結果的には身体のどこに故障があるかということに重きを置いています。

 小山 身体を機械と同じようにパーツが組み合わさってできたという感じで見ていてパーツが悪くなったら、そこを取り替えたり切ったりという感じ。パーツが悪いかどうかをどうやってみるかっていうと、色々な検査をして数値が出てて、患者の顔をほとんど見ないで「あなたはこうだからこうしないといけない」という感じですけれど。鍼はパーツではありませんよね。身体全体が一つの完成されたもので。

 蓮風 そうそう。この間ドクターたちのシンポジウムのなかで「プライマリ・ケア」のことが話題にのぼりました。いわば個人医学みたいなもの。これはアメリカから1970年代に出たんですけども、東洋医学っていうのは元々個人医学なんです。その中で全人的に医療を考えようという家庭医の立場ですね。それが出てきた背景には、先ほど先生おっしゃったようにパーツとして人間を見ておったことに対する一つの反省だろうと思うんです。西洋医学との連携プレー。これは先生どう思います?

 小山 やはり患者の方も東洋医学のことは知らない。西洋医学の先生に言われたとおりにやるということで、両方の医学がわかるドクターが一人でも増えれば連携という意味では良いと。そういうドクターを増やすっていうのは大変なので患者の方を啓蒙して西洋医学一辺倒じゃなくてこういうものもあるというような啓蒙運動も大切だと思います。しかし東洋医学にも理解がある医者を増やすっていうのは大変ですよね。

 蓮風 大変だけどね、私の経験で申し上げると、先日のドクターシンポジウムにパネリストとして登壇くださったドクター4人のなかに直接、私が患者として扱った方が3人いるんです。それぞれが難病でどうしても治らない。鈴村水鳥先生という東京女子大の医大生の時から天疱瘡という病気で苦しんでおられた。何でもないようだけど、あっちこっちにおできができて、普通の抗生剤が効かないんです。本人も、ステロイドで何とかいけるんだけど、ずっと飲み続けたら当然危ないと知っているんですよ。それを私、何とか治したんですよ。それから彼女は医大を卒業して医師国家試験を通って結婚もされた。そういうことで彼女にとっては忘れようとしても忘れられない医療を受けたわけなんで。

 小山 だけどそういった人たちの数を大量に増やすっていうのは難しいので患者の方の啓蒙の方が早いような気がするんですけどね。

 蓮風 方法はどうですかね? 多少とも私も著作を出したんですけども。何か他にいい方法ありますかね?

 小山 それこそ普通の人でも取っ付きやすい漫画とか。先生の本だと素人向けに書いたとはおっしゃってもやっぱりそこまでたどり着く人は少ないんじゃないかと思うので、もう少し…。

 蓮風 身近な存在になるように何かアピールしなあきませんのやな。〈続く〉
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現在の「藤本漢祥院」。乗馬を趣味にする藤本蓮風さんらしく“馬の風見鶏”(?)が目印になっている=奈良市学園北

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回は関西外大名誉教授の小山揚子さんと、鍼狂人・藤本蓮風さんの対談の5回目です。「どうすれば、もっと本当の鍼を知ってもらえるか」という課題はこの連載の一貫したテーマのひとつですが、その方法として小山さんが漫画での表現を提案しています。それから話は昔の蓮風さんの治療院の様子から現代医療の流れが個人として患者を診る鍼による治療と重なっている点などに話が広がっていきます。じっくりとおふたりのやりとりを味わってください。(「産経関西」編集担当)

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 小山 昔、本の好きなウチの子供が膠原病だったとき、手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」に(膠原病のひとつ)「エリテマトーデス」とかが出てたらしいんです。私は漫画を読まなかったけど、彼女はそういうので自分がどういう難病なのかがよくわかってたみたいです。

 蓮風 その娘さんには私も往診なんかで治療を手伝ったわけなんですけれども…。

 小山 ステロイドなんかで、髪の毛が抜けたり、ムーンフェイスになったりするというので、先生に往診をしていただいたら髪の毛は抜けませんでしたね。顔は少し丸くなりましたけどね。だからそういう意味で凄いなぁって思って…。

 蓮風 ものすごく賢くてね、可愛い女の子だったんですよ。だから"あの時"は本当に悲しかった。

 小山 私は後になって漫画を読んで彼女としてはそうやって理解してたんだなぁって…。漫画もバカにしてはいけないんだって思いました。

 蓮風 一つの手段であってねぇ。

 小山 だから東洋医学の経験もある方で漫画も描けるような人が上手くやったら啓蒙になる。主人(小山修三・国立民族学博物館名誉教授)の友人でイラストレーター(さかいひろこさん)なんですが、乳癌(にゅうがん)になって「乳がん治療日記 まんが『おっぱいがたいへん!!』」という作品を描きました。あれもすごく(世の中の)啓蒙になったみたいで。ずいぶん色々講演会などに呼ばれたりしてましたね。だから東洋医学の経験もある方で漫画も描けるような人が上手くやったら啓蒙になる。

 蓮風 そしたら漫画描きと仲良くしないかんですな。僕はね、最近の漫画ちょこちょこと見てるけどもやっぱり剣術の達人とかね武道を非常に追究していくという面白そうなのがあるんです。僕、脚本は書けますわ。(安土桃山時代の)鍼の名人、御園意斎の話とかね。鍼でこんだけ治したよっちゅう話も。

 小山 なんか、もうちょっと取っつきやすいものを…。

 藤本 そうですね…。ちなみに私の患者さんの移り変わりなんてだいぶ見られました?
 
 小山 
そうですね、最初は堺の方から(奈良の)菖蒲池(あやめいけ)のほうに引っ越していらした小さな仕舞屋の2階が診察室で、ベッドが4つくらいでしたか?

 藤本 4つか5つまでですね、せいぜい。

 小山 下の方にソファがある待合室があった。先生が堺から移ってきて、まだそう日が経ってないので、そちらの方からいらっしゃってる方が多くて、「あの先生は俳優の誰に似ていて格好いい」だとか…。噂話に花が咲いて、そのころは半分以上が堺の診療所から先生についていらっしゃたようで…。

 藤本 かなり初期なんですね。
 
 小山 
次に学園前のマンションに移って…。

 藤本 あそこで15年やって、ここ(現在の藤本漢祥院)で18年ですわ。

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 小山 菖蒲池の時はこの近くの方の他に、電車で通ってらっしゃる方が多かったですけれど、患者の間でコミュニケーションができてきて、鍼以外にも、この化粧水がいいから買ってきてあげたとか…(笑)。そういう形で交流がありましたねぇ。リウマチやなんかで若い方も混じってましたけど、どちらかというとお年を召した方が多かったような気がしました。学園前のマンションに移ったら、お年寄りもいれば若い人もいるという感じになった。それでいろいろ聞いていると、みなさん大変な病を抱えてらして「あんさんどこが悪いの?」って聞かれて、どこといって悪くないので、非常に肩身が狭いですけど「ちょっと微調整しに」って言うと、すごい贅沢だってみんなに羨ましがられました。

 今のこの新しい漢祥院に移ってからは何となく患者同士の会話っていうのは少なくなったように思いますねぇ。それまでは大阪のおばちゃん的に色々ごちゃごちゃ話したり、感じとしては女の方が多かったように思うんですよね。私が来る時間帯がそうだったのかも知れませんけど、こっちに移ってどうしても私が来るのは夕方、夜の時間帯なんで男性の方が結構多いなぁという感じ。そうすると大阪のおばちゃん的な会話っていうのもほとんどせずに…。

 藤本 そうですね、全体から見るとやっぱり男性はあまりしゃべりませんな。女の人はホントに買い物の話かなんかで結構しゃべるんだけど、男性っちゅーのは意外とね、むっつりしてますよね。「あんたどこが悪いの?」って聞いたら「ほっといてくれ」っちゅー感じで(笑)。

 小山 そうですね(笑) だからそういう意味で、ここに移ってからは男性の患者さんも増えて、いわゆる、あの無駄話的な会話は少なくなったように思います。

 藤本 しかしあれが大事なんだよね。一回ね、批判されたことがあんですよ。「あんた、大きいとこに替わってから、なんか冷たくなった」って。でまぁ、確かにベッドの数も増えたし、忙しくなったいう面もあるんだけど、なんせマンションの時は狭いとこベッド5台、それも2階建てでしたね、あれ。

 小山 そうですね、中2階みたいな感じで。

 藤本 うん、中2階。下にベッド2つ、上では3つで、5台あって、そこへ患者さんがもう溢れとってね。

 小山 座るとこありませんでしたね。

 藤本 待合室では入りきらないから、ベッドとベッドの間に座布団敷いて、その間を駆け抜けるんですよね。で、駆け抜けるときにちょっと挨拶せにゃいかんから、アホな冗談をパパパーっと、こう言って、なんかこう芸人が働いてるような感じしてきましてね。あれはあれでまた独特の味がありましたねぇ。今はもうある程度、器が大きくなってるからそれがない。それがやっぱり寂しさにつながるんかなぁという気もするんですよね。確かにね、全体としてやっぱり女性が多いです。男性はやっぱり仕事でどうしても縛られるから、夕方とか夜が中心になってきますね。

 小山 最近、若い方が多いような気もしますけど。

 藤本 ああ、最近ね。これはねやっぱり、時代の移り変わりというか、鍼に対する認識がずいぶん変わってますねぇ。昔はまぁ極端に言うたら鍼灸なんちゅーのは年寄りがするもんやというような、変な常識が通っとったわけですけど、今は西洋医学ではあかんやつを助けてくれるから…。そういう意味で明るい面もかなりあるなとは思います。

 小山 そういう方たちは結構ネットかなんかで見て、自分で探して来てらっしゃるんじゃないかなーと思いますけれど。

 藤本 はい、はい。

 小山 だから、私も菖蒲池の時から来させていただいて、当時は仕事場に近い(大阪府の)枚方に住んでたんですが、岩船街道という山道を夜、クルマで走るのは結構しんどいので、まぁ奈良はお水も美味しいし、藤本先生に近いからと越してきました(笑)。

 藤本 非常に、ありがたいお話なんです。まぁ、確かに、近くでね、安心して受けられる医療があるっちゅーのは、本当に患者さんにとっては大事なことなんでしょうね。

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 小山 そうですね。だから昔、子供の時は町医者さんがそういう感じで、ちょっと熱出したりなんかしても割と簡単に往診してくれて、その子の体質をよく知っていた。それこそ(家庭医療などの)プライマリケアをしてもらった覚えあるんですけれど、今の普通の病院っていうのはやはりそういう意味では…。

 藤本 個人で気軽にかかれる先生が少なくなって、病院に行かないかん。商売で言うと、まるで個人商店がスーパーになったような形が…。

 小山 そうそうそう、そんな感じありますねぇ。

 藤本 そういう意味で、あくまで個人を大事にしようという、そういう風潮が医学界でも起こってるんだけど、全体としてはまだまだですね。

 小山 今、若い人が来てて、プライマリケアを色々していただいてるっていうのは、非常に将来的には、スーパーじゃないところで美味しいもの買えるよというのが広がっていくような気がします。

 藤本 そうですね、だから今、西洋医学の方向としては、全体としてはやっぱりスーパーなんだけど、同時にプライマリケアで、個人医・家庭医というようなものを置いて、そこで、ある程度こう診ておいて、それをセレクトして、これはこういう方向で病院かかったほうが良いという、そういう方向性まで教えるような段階にきているらしいですわ。この間の(北辰会が主催したシンポジウムに参加した)ドクターの話では。だからまぁ、両方必要なんだろうけども、全体としては、僕はやっぱり、漢方・鍼灸やってきた個人医というのは大事だなぁとは思いますね。〈続く〉

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