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初回公開日 2012.12.1
「鍼(はり)」の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は、今回から児童文学作家、ひこ・田中さんと、鍼灸師で北辰会代表の藤本蓮風さんとの対談をお届けします。
児童文学だけでなくゲームやアニメ、マンガなどにも造詣が深い田中さんですが、今回は鍼灸治療を受けている立場から医療に対する考えを語っていただいています。子供の文化の世界を見つめる作家の眼には、現代の医学はどのように映っているのでしょうか。また新しい鍼の世界が見えてきそうです。ちなみに文字にすると、少し厳しい応酬のような印象を受ける方もいらっしゃるかもしれませんが、実際はなごやかで、そうだからこそ、おふたりの思いが率直に表現できているようです。(「産経関西」編集担当)
ひこ・田中(ひこたなか)児童文学作家、「児童文学書評」主宰。1953(昭和28)年、大阪府生まれ。同志社大学文学部卒業。90年『お引越し』で第1回椋鳩十児童文学賞、97年『ごめん』で第44回産経児童出版文化賞JR賞を受賞。それぞれ映画化もされた。その他の主な著書に『サンタさんたら、もう!』『ふしぎなふしぎな子どもの物語』『レッツとネコさん』など。
蓮風 「蓮風の玉手箱」へようこそいらっしゃいました。先生ご自身が鍼灸治療を受けられる前、東洋医学についてどのような印象をお持ちでしたか。そして実際治療を受けてその印象は変わりましたか。鍼灸治療を受けて何か発見などがありましたらお聞かせください。
田中 私は何かの疾患を抱えて自分を律せなくなったら、しんどくない方向とか、快適な方向に押してくれるものなら、いいだけなんです。手を握ってくれるだけで元気になれるんだったら、手を握ってくれる人でもかまわない。
蓮風 それはあれですか、たとえば脱法ドラッグというのがありますが、あれでも基本は変わらないということですか?
田中 それが脱法という時点でダメですけれど、基本は変わらないでしょうね。ただし、病を抱えているというのは、自分で自分をうまく律せなくなっている状態だと思うんですよ。いま仰った脱法ドラッグは、より自分を律せなくなって、心地良くなっているだけですから、これは治療とはまったく逆の方向だと私は思います。
蓮風 しかし、それがもし合法的に出された場合、癌(がん)の末期とかにモルヒネを使いますけれど、あれは有効ですか。
田中 それは有効だと思います。自分自身が治癒の方向へ向かおうということを自分自身で放棄することはあると思います。つまり、これ以上治療を続けることが自分にとって快適でないと思うことって人にはあると。
蓮風 …と同時に、それには副作用がありますよね。それを認めたうえでですか、その場合は。
田中 もちろんです。副作用のない薬は…、治療も含めて、ないと思っています。病というものは、基本的には、ほとんどの病がバランスを崩すことですから、そのバランスを戻すにあたって、たとえばマイナスになっているものをプラスにする場合、別の部分がマイナスになる場合はあると思うんですよね。
蓮風 それは副作用と言わないんじゃないですか。
田中 それは藤本先生の言葉で仰っていただいていいんですけれど。
蓮風 私が思うには、癌で亡くなる方多いでしょう。その場合に、食べれんようになる。それを無理に周辺の者が栄養をつけさせようとする。ところが食べられんかったら食べられんままに放っておくと何が起こるかというと、身体のシステムがうまく働いて、モルヒネ様の物質を出すように脳を刺激するといわれている。だから、癌だからといって、さわらんほうが、自然死に近いことが起こる、ということを言う人もおるわけですよ。
僕の経験でも、肝臓癌、ある種の肝臓癌ですが、西洋医学じゃなしに、東洋医学で治療しようということでやりましてね。いよいよダメな時に「先生、どうしようか」って電話がかかってきたので往診に行ったんです。「どうですか」と訊くと、「気持ちがいいんですよ。すごく気持ちがいい。今までにないくらいに気持ちがいい」と言う。薬はほとんど使っていない。「ただ先生ね、周辺の者がうるさい。集まってきて、危ないからと騒ぐから、僕はもうあれがうるさくて仕方がない。静かにしてくれ」と言う。そんな実例があるんですよ。
田中 とてもよくわかります。
蓮風 東洋医学というのは、どっちかと言うと、何もせん医療ですよ。いま、あなたが仰ったように、バランスの崩れを治すんだけれども、自然に治ろうという修復過程の中で少し援助するだけです。極端に言ったら医療の中で一番弱いと思う。だけどそれが、いま言った事例のように、まれにでも自然死を招来できるのであれば、これはやっぱり医療をもう一回考え直さなければいかんことだし、僕はここにこそ東洋医学のチャンスがあるのでは、いうふうに思うわけですが。
田中 いまのお話でもそうなんですけれども、自分自身でバランスが取れなくなっている状態の人が病人ですよね。その場合、ポンと押してあげることはあると思うんですよね、その傾きを元に戻すというか…。その押し方の違いみたいなものが、それこそ西洋医学、東洋医学と色々あるわけでしょうけれども、押し方さえ、患者である自分にとって的確であれば、西洋、東洋を、私は問わない。どれでもかまわない。
逆に西洋だ、東洋だと言われるほうが、患者のほうはどっちがええのやろうと迷ってしまうので、患者の側だけの気持ちで言えば、あんまり西洋、東洋で強調されるのは非常にキツイ。ただでさえ疲れている時にどっちがええねんと言われるのは、ちょっと失礼な言い方かもしれませんが、迷惑というような気がします。
そこは単に治療法なり、歴史の違いとして受け止めておくほうがいいのであって、もちろん今、西洋医学と言われているものが、東洋医学をなかなか受け入れないのは馬鹿げたことだと思いますし、逆に、東洋医学の方が、もし、そうは東洋医学の方の人はほとんど仰っておりませんが、西洋医学よりも、いいんだともし仰るならば、それも馬鹿馬鹿しい話だなと、つまり患者の側から見てですよ、そういうふうに考えます。
蓮風 でもね、我々のほうはアクティブに行動する方ですよね。そうすると、僕は50年間やってるわけで、相応の経験を持っているわけです。その中から見たら明らかにこっちの方が安全に治るよ、というのはあるわけです。これは患者さんに対してひとつの親切であるし、やっぱり見解を言うべきだと思うんですよね。それを迷惑だと言われると困るんだけれど…。
田中 それを迷惑と言っているのじゃなくて、どっちかを取れと言われるのが迷惑なんです。
蓮風 それは選ぶのはまったく患者さんの自由です。それはもう基本的に趣味の問題で、私の基本的な考え方は、西洋医学も必要なんです。場合によっては必要です。だけど、多くは必要でない場合が多い、という見解で。だからそれを知らない患者さんは、ほとんど西洋医学に育てられているんですよ。
田中 あ、それはそうですね。仰ることは、よくわかります。
蓮風 だからそういうところの間違いを、或いは、より一層その人が楽になる方法を考えてあげるのが僕の仕事と、こういうふうに思うわけです。<続く>