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初回公開日2013/2/16
鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は今回から10人目のゲストをお迎えしてお届けします。鍼灸師の藤本蓮風さんと対談をする新しいお相手は帝塚山大学教授の川口洋さんです。川口教授のご専門は「歴史地理学」です。古文書などをもとにして近代移行期の人口について研究されています。そのような学問がこのシリーズのテーマの東洋医学とどうリンクしていくのか…。人口という現象から見える人間の生き様や社会の“形”を通じて身体を考える興味深い対話が期待できそうです。
(「産経関西」編集担当)
帝塚山大経営学部教授(歴史地理学、歴史人口学)、博士(文学)。1960(昭和35)年兵庫県生まれ。筑波大・大学院博士課程・歴史人類学研究科中退。同大学学術情報処理センター、東京家政学院筑波短大、帝塚山大経済学部などを経て現職。古文書史料から人口分析を行なう情報システムを開発、公開している。07年、情報処理学会・山下記念研究賞受賞。共編著に『歴史GISの地平』『大和を歩く-ひとあじちがう歴史地理探訪-』。共著に『歴史人口学からみた結婚・離婚・再婚』『アジアの歴史地理 第1巻 領域と移動』『生活・文化のためのGIS』『近代移行期の人口と歴史』など多数。
蓮風 先生は長く私の患者さんとして来ていただいて、いろんな面で東洋医学の実際面と理論面とを理解されてらっしゃると思うんですけれど、まずはじめに、先生のご専門の歴史地理学について簡単に説明していただくとありがたいのですが…。
川口 歴史地理学は、昔の人々の暮らしをありのままに「復原」することを目的とした、長い歴史のある分野です。
蓮風 いわゆる歴史学の中のひとつということでしょうか。
川口 地理学の一分野です。
蓮風 どっちかというとジャンルとしては地理学が中心になるのですか。
川口 はい。前世紀まで、歴史学をはじめ、社会科学の多くの分野では、イデオロギーに流されて、事実をありのままに見るということができにくい状況でしたので、歴史地理学を選びました。
蓮風 いわゆる皇国史観といわれるものですか。
川口 それは大東亜戦争以前の話でしょうね。私の学生時代は、マルクスの影響が強い時代でした。過去に生きた人々の姿をありのまま復原したいというのが、歴史地理学の目標です。
蓮風 ああそうですか。私の知っているのでは、明治の頃に環境地理学という学問があって、その中で中山忠直というジャーナリストが出てきまして、その当時のお灸の名人の澤田健という人をある本の中で紹介したんですね。そしたら東洋医学が一気にね、盛んになったんですね。
川口 ほう。
蓮風 その当時はご存じのように、皇国史観というか、国粋主義というか、そういう時代を背景に出てきているわけなんですけれども。中山忠直ってご存じですか?
川口 よくは存じません。どのような方ですか。
蓮風 明治以降、非常に衰退した東洋医学を盛り上げてくれた方なんですねぇ。
歴史地理学と環境地理学とはどういうふうに違うんですか?
川口 地理学は非常に幅の広い分野です。人間の生き様を描くことをめざしています。自然環境と人間の暮らしぶりとの関係を重視する分野でもあります。今世紀に入って、地球温暖化やエネルギー問題をきっかけに、環境と人間との関係を模索する新たな動きが地理学にもみられます。
私自身は、江戸時代から明治時代にかけての人口について研究しています。医学との関係で申しますと、幕末期にジェンナーの発明した種痘の痘苗が、長崎出島にあるオランダ商館の軍医を通じて導入されたために、天然痘死亡率が少しずつ減っていきます。コンピューターを使ってその状況を復原しようとしているところです。
蓮風 はぁそうですか。今はそれを中心にやられていると。
川口 はい。
蓮風 先生は文科省から助成金をもらって研究されている方で、学者の中でも秀でた方でご尊敬申し上げているわけですけれども、いつでしたか、先生から頂いた面白い論文がありましたね。陰陽師が、子供が生まれたらどうこういう。あれを少しお話しいただけますか。あれ面白かったですわ。
川口 江戸時代の人口問題のなかでも、間引きや堕胎が欧米の研究者の関心を引きます。貧しい人々が子供を育てる自信がない場合、大人が生き残るために、生まれてきた子供を間引くと考えられてきました。
川口 はい。中絶の方法もありましたが、生後の場合には、「間引く」とか、「返す」と古文書に書かれています。間引きの実態を示した史料は、私が発見したもの以外に報告されていません。
蓮風 ほほう。
川口 私が見つけたのは、福島県会津地方の元禄期の日記です。子供を返した記録が、素直に書いてあります。日記を書いた方は、江戸や京都と大きな取引をする、会津を代表する大麻の商人です。豊かであるにもかかわらず、3人の子供を返しています。性別占いの結果と異なる性別の子供が生まれたから返すと日記に書いています。
蓮風 それに結局、占いと関わって陰陽師が活躍するわけですね、暗躍というか。
川口 はい。修験山伏が胎児の性別占いに関わっていた可能性があります。
蓮風 ああそうですか…。我々が二十歳(はたち)ぐらいのときに、世間のお年寄りの名前を、非常に不思議に思ったんですねぇ。たとえば「捨蔵(すてぞう)」とか「捨児(すてご)」、女の人だったら「トメさん」とか「マタトメ」とか、これは明らかに子供が生まれてきたら困るんだ、という発想が名前に乗っているみたいなんですが、やっぱりそれとつながるんですか。
川口 そうですね。トメというのは、「この子で終わりにしましょう。」という意味です。
蓮風 だから「マタトメ」といったら、結局止まらんでまたできた子…。
川口 名前にも呪術的な意味があって、女性でも「イヌ」とか「トラ」とか、元気な動物の名前を付けます。
蓮風 「クマ」とかね。
川口 元気に育つようにという魔除けの意味があるわけです。名前にも大きな意味がありました。
蓮風 陰陽師はいろんなことに活躍というか暗躍を、当時の庶民にいろんな影響を与えて、文化的に影響を与えたというようなことを仰ってたんだと思うんですが、何かそれで面白い例があれば…。
川口 そうですね。陰陽師にしても修験山伏にしても、よろず相談受付所のような役割をしていました。人間の生活のなかで、今も昔も悩みの中心は「生病老死」です。病気に関しても、村人の相談に乗るわけです。幕末にコレラが大流行しますし、天然痘は流行を繰り返しています。そういう時には、陰陽師や修験山伏などの宗教者に祈祷してもらいます。
蓮風 はい。
川口 陰陽師や修験山伏は、オカルト信奉者ではなくて、高い漢籍の教養を持っておられました。そういう方々は、祈祷で病気が治らないことは百も承知だと思います。一方、祈祷には、癒やしの力があると思うんです。一心不乱に病気平癒を祈ることによって、病気の子供達や親御さんを勇気づける、力づける、という役割が大きかったのではないでしょうか。
蓮風 これは私も目標にしようと思うんですけれども、医学・医療というものにはひとつの願いがある。だからお医者さんの人格みたいなものが大きく影響すると思うんですけれども、この場合もそうでしょうね。<続く>