蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

カテゴリ: 和クリニック院長の村井和さんとの対話


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初回公開日 2013.6.29
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村井和さん=「和クリニック」(和歌山市吹屋町)

 鍼(はり)の力を探る「蓮風の玉手箱」は今回から新趣向です。若手医師と鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談をお届けしていきます。登場するのは“玉手箱の主”蓮風さんが主宰する鍼灸学術研究会「北辰会」で研鑽をつみながら現場で鍼灸を取り入れるなど、東洋医学への関心が高い方々。第1弾は「和クリニック」の村井和院長です。(「産経関西」編集担当)

村井和(むらい・かず)さん
 和クリニック院長(内科、東洋医学)。1969(昭和44)年、和歌山県生まれ。神戸大学医学部卒業。同大学医学部付属病院、兵庫県立尼崎病院勤務を経て出産・育児休業中に藤本蓮風さんが代表理事をつとめる鍼灸学術研究会「北辰会」に参加。2003年から勤めた和歌山生協病院の内科で鍼灸を併用した治療に取り組む。2011年11月「和クリニック」(和歌山市吹屋町4-12-2)を開業した。北辰会正講師。 

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 蓮風 村井先生、お忙しい中を(和歌山市内から)遠路はばからず来ていただいて大変嬉しく思います。

 村井 お呼びいただきましてありがとうございます。

 蓮風 「蓮風の玉手箱」はこれまで11人の文化人、著名人にお越しいただきました。それぞれの方々の専門分野は、それぞれひとつの文化だと考えております。そういった文化と東洋医学をスパークさせることによって、その先生方に東洋医学をある程度知っていただき、そして我々が逆にそういう方々の文化や知恵を、東洋医学の中に取り入れていったらどうかという考えでやってきたわけです。

 これからは村井先生を初めとした若手のドクター…鍼灸と関わる医師を中心に、お話をいただきたいと思っています。若い先生たちの理想とする医学、医療。これが東洋医学と兼ね合いの中でどういう風に展開するのか…。人々の健康を守る意味で大事な話になると思いますので、ひとつよろしくお願いします。

 村井 よろしくお願いいたします。

 蓮風 村井先生は、実に不思議な縁で、我が藤本家との関わりが深いと聞いております。お祖母さま、お母さまとの関わりからお聞かせください。

 村井 はい。うちの親戚は、医者が多いんですけども、祖母と母が鍼灸師なんです。祖母は私が幼稚園ぐらいの頃に、腰痛を鍼で治してもらったことに感動して「鍼を勉強したい」って…。もう50代だったと思うんですけど、孫ができるような歳になって、鍼を勉強したいって言い始めたんです。和歌山のずっと南の方に住んでたんですけど、そこから夫婦で大阪に下宿して鍼灸学校に行きだしたんですよ。祖母は蓮風先生のお父さまの和風先生の診療所に行って、診療を見学させていただいたり、いろいろ教えていただいていたみたいです。母は祖母を手伝おうと思って鍼灸学校に通ったそうです。

 蓮風 そうですね。お母さんは、僕が教えていた「関西鍼灸柔整専門学校(現・関西医療学園専門学校)」=大阪市住吉区=の3年B組の生徒さんでおられた。その頃、村井先生はちょうど中学生ぐらいですか?

 村井 小学生ですね。

 蓮風 ああ、そうですか。だから深い縁ですよね。ひとつはお祖母ちゃんが和風さんとの関わりを持たれてた。で、お母さんは僕が教えてた、ということなんですね。

 このお祖母ちゃん、お母さんが鍼をされていた、その中で先生が子供の頃から鍼を受けておられると思いますけれども、何か印象深い出来事があったら2、3、聞かせてください。

 村井 そうですね、小学生の時に1年間、祖母が鍼灸をやっている家の、診療所の2階に一緒に住んでたんですよ。

 蓮風 ほぉー、お祖母ちゃんと暮らしてた。

 村井 ええ。毎日のように鍼をしてもらってて。それまではいつも尿蛋白が出て浮腫(むく)んでたんですけど、祖母が、小児鍼ですよね、「散鍼」っていうのを毎日のようにしてくれて、すごい健康になった。背もその時すごい伸びましたし、勉強もよく出来たし、鍼のおかげかなと思います。それからもずっと診療所が空(す)いてる時に呼んでもらって鍼を受けてたんです。やっぱり鍼数は、家族にはそんなに多くなくって、内関・公孫とか、外関・臨泣とか、そういう組み合わせで、両手と両足に鍼するっていうのをよくやってもらってました。

 蓮風 それから、そのお祖母ちゃんのもとに、たくさんの患者さんが来られたと思うんですけども、印象に残ってる患者さんおられますか?

 村井 私はそんなに詳しくは聞いてないんですけど、病院でこんなの治らないって言われた病気が鍼で治るんだとか、なんでもかんでも手術しなくても鍼で治るんだっていう話は、もうしょっちゅう聞かされてまして、私の弟も虫垂炎になった時にすぐに和風先生のところへ連れて行って鍼で治してもらったって聞いてます。

 蓮風 やっぱり和風さんの考えとかそういうのが、だいぶ伝わっとったわけですね。

 村井 そうですね。いまだに、母は和風先生がダメと仰っていたものは絶対食べないです。添加物の多いものとか、マヨネーズとか。

 蓮風 なるほど。そういうことが縁で先生はお医者さんを、志されたということなんですが、鍼灸師にならずにドクターを目指されたのはどういうことなんでしょうかね?
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 村井 そうですね、鍼灸を活かしたいっていうのはすごくありましたし、こんなに鍼灸で治るっていうのも世間の人も知らないし、病院の先生も知らないんだっていうのを、母とか祖母の話から解ってきて、そういうのをもっと広めたほうがいいなっていうのは思ってましたし、自分もその鍼で人を助けるような仕事ができたらいいなーって思ってました。まあ端折ると、鍼灸師の先生が、鍼がいいんだよって自分でおっしゃるよりは、医者っていう、外部の人とか、他の医学も知ってる人が「鍼は効くんだよ」って話をするほうが説得力があると思いました。

 蓮風 説得力がある、なるほど。それでまあ、先生は神戸大学の医学部を出られて医師免許を取られたんですけど、そのあと先生はどういう…。簡単に、お話いただけるとありがたいですが。

 村井 医学部卒業して1年間は大学の内科で研修してました。そのあと、東洋医学をやりたいっていうのが元々ありましたので、卒業後はもう絶対、東洋医学をどうにかして勉強したいというのがありました。東洋医学をやってる、東洋医学って言っても漢方になるんですけど、とにかく漢方をやってる病院に行きたいと思ったので、そういうところを持ってる医局にまず入ってそこから派遣してもらう形で、(兵庫)県立尼崎病院っていうところに行きまして、そこでも内科の研修1年間しまして。

 蓮風 そこ、何年ぐらいおられたんですか?

 村井 そこは2年間。1年目は普通の研修医で、2年目から消化器内科とそれから東洋医学科とふたつ掛け持ちで。

 蓮風 そこで何か印象深いことありました?

 村井 そうですね。まあ、鍼灸師の先生もたくさんおられて、入院患者さんを鍼灸師の先生に紹介したりすることもできるんですよ。で、膠原病で、けっこう重症の患者さんがいらっしゃって、すごく精神的なものが影響されているような感じの方だったんですけど、今から思えば。その方を鍼灸の先生に紹介して、治療してもらうとやっぱりすごく経過がよくなって、本人もすごく精神的に安定したっていうのを憶えてます。あとは、漢方の方はすごく有名な松本克彦先生っていう方がいらっしゃって、本当にもう外来もすごい大忙し。いつもそこを、研修医の頃から見学させていただいてました。一人一人の患者さんについて簡単に説明してくださって、それがもうすごく面白くてわかりやすかったんです。

 蓮風 我々も中医学を、初期の頃にやったほうなんですけど、松本先生も早くから兵庫の方で中医学の本を翻訳したり実践したりして非常に有名でしたね。〈続く〉

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「和クリニック」での村井和さん。
カメラで患者の舌の様子などを記録する=和歌山市吹屋町

 鍼灸学術研究会「北辰会」代表の藤本蓮風さんがさまざまな分野のエキスパートをお招きして鍼(はり)について語り合う「蓮風の玉手箱」をお届けします。医師で鍼灸を治療に取り入れている村井和・和クリニック院長との対談の2回目です。
 前回は神戸大医学部を出た村井さんが兵庫県立尼崎病院で消化器内科と東洋医学科を掛け持ちして治療をしていた時のことを話してくださいました。今回はその続き。同県立東洋医学研究所所長などもつとめ漢方医学の著書も多い松本克彦医師のもとで勤務されたころの思い出から、お話は始まります。(「産経関西」編集担当)

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 村井 入院患者さんを担当させていただいたり、最後のほうは外来もさせていただいたりしたんですけど、たくさんの患者さんが来られて喜んで帰られますけど、病棟の患者さんは結構重症の方が多くて、やっぱり漢方は補助的な感じで扱われてるというふうに、病院では思いました。自分自身も、そこで出産したんですけれども、すごい難産で、もう死にかけるぐらい。その時に東洋医学で何もしてもらえなかった。母がずっと何日間もつきっきりで、なかなか生まれないっていうことで、助産師さんが母に「免許をお持ちなのでしたら、それを活かしてぜひ鍼をしてください」って仰ってくださったんです。

 その時「三陰交」(ツボの名前)に鍼をしたら子宮口がずっと開かなかったのがある程度は開いたんです。そのタイミングとかやり方とかもっと工夫したら上手くいったんじゃないかって、すごく思いましたね。

 蓮風 先生の話は非常に実体験が多くて興味深いわけですけども、そうですか、ご出産に関してそういう体験を持っておられるわけですね。で、西洋医学の勉強なさって、東洋医学的な考え方について松本克彦先生からお話を聞いて、最初はどういう風にお思いになったんでしょうか?

 村井 小さい頃から親しんでいる世界でもあったので、違和感はなかったんですけど、やはり用語とかが独特ですし他の西洋医学と掛け持ちでするので、結構ちょっと体力的にも…。

 蓮風 うふふふ(笑)。

 村井 もともと運動もしてなかったんで、すごく体力なくって。で、研修医時代に、眼の病気になったりとか、下血してたりとか、体調がものすごく悪かったんですよ。不眠もありましたし。で、一生懸命勉強しようと思っても、ちょっと…。

 蓮風 身体が付いていかなかった?(笑)。

 村井 身体が付いていかなかったところも(笑)。

 蓮風 やる気はあるけれども(笑)。

 村井 はい。当時の研修医というのは、特に激務だったので、周りに難病になって、医者を続けられなくなる方とかも結構いました。

 蓮風 うんうん。

 村井 あの時、おばあちゃんの傍にいて、鍼を受けられていたら、もうちょっと体調良くしっかり勉強できたかもと思ったりもしますね。
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 蓮風 うんうん。なるほど。私もね、あれ、今からもう十何年前ですかね。診療中に突如、あなたのお母さんから電話がかかってきて(笑)。「今から行くから診てくれ」と言う。あれ、どういうことやったんでしょうか?

 村井 数年ぶりに奈良の三輪山に家族でお参りに行ったんです。祖母が良くお参りしてた神社で…。

 蓮風 ああーお参り、信心してはったんや。

 村井 ええ。その帰りに、ちょっと電車が動かなくなって、バスで迂回して駅まで行かなくちゃいけなくなったんです。私、バスで立っていられなかったんですよ。で、母が、もうこれは私の手に負えない、と思って蓮風先生に電話したんです。まあ、「放り投げたんや」と言うてますけど(笑)。もう蓮風先生しか頼れない、と思って。

 蓮風 うん。あの当時はね、先代の和風さんはね、生きてはおったけども、もうほとんど仕事できなくなった段階で。たぶんそれでお母さんも、それじゃあということで僕の所へお連れになったと思うんですね。で、その当時の先生のお身体の状態を、眼とか色々あったけども、簡単にちょっと聞かせて頂けますか?

 村井 そうですね。まぁ仕事はできない状態で(休職していた)。

 蓮風 そうでしたね。

 村井 ええ。その時は2003年の夏。ちょうど10年くらい前ですね。で、右眼に炎症が起こって、痛みと眩しさがステロイドで治まるんでずっと点眼し続けてて…。でも副作用もあって「これ以上ステロイドを出させてもらうわけにいきません」って、眼科の先生もおっしゃって。で、他に治療法もないと言われました。首とか腰とかがほとんど常に痛くて、頭痛とかで週に5日くらいは寝込んでいるような状態だったですね。

 蓮風 確かにまあ、僕の記憶もだいぶ薄れているんだけども、かなりお疲れが酷くって。で、あの当時使ったツボというのが「後渓」もあるけども「内関」をよく使ったんですよね。

 村井 そうですね。

 蓮風 「内関」を使うということは余程の肝鬱のきついやつで、しかも重症なんですよね。しかしながら、まあ、症状としては重いけれども、東洋医学的には、邪気も強いけれども正気もしっかりしているという風に見立てたから「内関」使ったんですよね。

 村井 はい。

 蓮風 それからどうなったんでしたかな?

 村井 そうですね。それから、どんどん元気になりまして、そういう身体の痛みもなくなりまして。

 蓮風 確か僕はあの時「仕事に復帰してからもまた鍼の治療を受け続けたらどうや」と言ったと思いますね。

 村井 そうです。

 蓮風 それは何回目ぐらいに言ったんですかね?

 村井 もう初診の時ですね。

 蓮風 だいたい職場復帰はそれから何年くらい経って?

 村井 8月に初診で11月の初めに職場に。

 蓮風 ああ、もうすぐ行きだしたんやね、うん。

 村井 だから、3カ月くらいで復帰ですね。〈続く〉

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待合室で患者と談笑する村井和さん(写真右)
=和歌山市吹屋町の「和クリニック」

 「鍼(はり)」の力を探る「蓮風の玉手箱」は医師で鍼灸を治療に取り入れている村井和・和クリニック院長と、鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の3回目をお届けします。前回は、体調を崩して勤務先の病院を休職していた村井さんが蓮風さんの鍼と出会ったきっかけが語られました。今回は、その続きです。蓮風さんが代表をつとめる鍼灸学術団体「北辰会」に村井さんが入った思いも伝わってきます。(「産経関西」編集担当)


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 蓮風 (村井さんは患者として)僕のもとにいらしたときから、鍼による治療にたいへん興味を持っておられた。これはもう実践の上で先生にお伝えした方がいいと思ったからね、休職から病院に復帰してからも治療を受けながら東洋医学をやったらどうかなと、確かそういう気持ちで、復職後の治療を勧めたと思います。

 村井 はい。先生が、仕事に復帰して患者さんを救っていくことで自分も救われるっていう風に教えてくださいました。

 蓮風 うーん。それ、非常に大事なことを言っておりますね。いろんなダメージがあったけれども、むしろ医療をやることによって患者さんが救われる。その救われることによって先生自体が癒やされるであろうということを言った訳ですね、うん。それから間もなく「北辰会」に入って来られるんですね?

 村井 そうですね。職場復帰の前に、もう「北辰会」に先に入ってたと思いますね(笑)。

 蓮風 ああそうか!はっはっは(笑)。

 村井 ほぼ同時ぐらいですね。

 蓮風 その時に、これは面白いなとか、こういう事は変わってるなとか、そういう印象ありました?

 村井 そうですね、「北辰会」の印象っていうか、まあ、蓮風先生そのものって言うか…。「(藤本)漢祥院」に初めて来た時の印象から話しても良いですか?

 蓮風 うんうん。

 村井 先生の治療を受けて本当に、小さい頃から憧れてた医学に、やっと逢えた気がしたんです。

 蓮風 ああ、巡り逢えたと。

 村井 ええ。

 蓮風 そういう思いがあったということは、先生自身の身体が実際良くなったし、眼も良くなったんですよね?

 村井 そうですね。眼も良くなりました。

 蓮風 白濁してましたからね、最初診た時はもう、右目はね。

 村井 ええ、ええ。白濁はもう綺麗に治りました。

 蓮風 で、今はちょっと眼は弱いけれど、白濁するっちゅうことはほとんどなくなっとるわけですね。

 村井 ええ。
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 蓮風 西洋医学的にいうと病名は何なんですか?

 村井 んー、最初は「強膜炎」というのが起こって。

 蓮風 強膜炎。

 村井 そのずっと前には眼を、角膜を傷つけたこともあったんですけど、そこを中心に炎症が広がって、で、「痛い痛い」って言ってたところに、ステロイドの点眼をずっと続けて。で、そういうのが色々重なって白濁していったと思いますね。

 蓮風 まあそういうことで、身体全体とそういう眼の難病が治って来たということが非常に先生には新鮮に見えて、これが本当の鍼だ!と思われたっちゅう訳ですね。

 村井 そうですね、初診で鍼をしていただいた瞬間から思っていましたね。

 蓮風 先生は内科がご専門なんですけども、東洋医学との根本的な違いは何だと思いますか?

 村井 そうですね…。まず、3つぐらい挙げたいと思いますけど、1つは、目に見えない「気」っていうものがあるっていうことが前提にして、成り立ってるところが全然違うと思いますね。

 蓮風 そうですね。西洋医学はむしろ形のある世界で、形を追求していく世界ですよね。

 村井 はい。

 蓮風 他に?

 村井 そうですね。歴史がすごく長くて、何千年という歴史がある。西洋医学も歴史はあるんですけど、今のような形になって普及してるのは100年くらい前から。で、今も発展し続けてる。どんどん変わっていきますし。そういう意味では何年か前に常識だった治療や養生法とかが、もう全然ガラッと変わってしまうっていう世界で。で、それに対して東洋医学の方は完成度が高くて、そう容易には根本的な原理とか真理は変わらないってところがすごく魅力だと思います。蓮風先生の治療はどんどん進歩されますけど。で、もうひとつは道具がそんなに要らないっていうところで、自分の身体ひとつあれば診察できるっていう。で、診断もできるってところが素晴らしいと思いますね。<続く>

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対談中の藤本蓮風さん=奈良市の藤本漢祥院

 「鍼(はり)」の力を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸を治療に取り入れている医師の村井和・和クリニック院長と、鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の4回目です。今回は村井さんが鍼を使った実例について、より具体的なお話が出てきます。それから理想とする医療についても言及されていきます。「健康診断」についての話題は前回の最後で、東洋医学について村井さんが「自分の身体ひとつあれば診察できる」と評価した点と重ね合わせると新しい医療像が見えてくるような気がします。

(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 先生は(2011年11月に)クリニックを開業なさった訳ですけれども、それまでは病院で内科を中心に担当されて鍼灸を用いていろんな患者さんを治療してこられた。そして病院を辞めて、週に1回は未だに病院に関わっておられる。これはやはり西洋医学は、しょっちゅう変化するから、それにある程度呼応するのはあったと思うけども、病院の中で、そういうことをやっておった時と、鍼を中心にやっておられる今では、考え方が変わりましたか?

 村井 そうですね。鍼で治療するって目で毎日毎日患者さんを診れるっていうことで、西洋医学よりもどちらかって言うと、東洋医学の方により傾いて来てるなっていう気がします。

 蓮風 それはやっぱり、はっきり言って西洋医学より面白いからですか?

 村井 そうですね。ええ。

 蓮風 これ、大事なんですね! このコーナー(蓮風の玉手箱)を読まれる西洋医学の先生にとっては、そういう部分が非常に興味深いと思いますが、最初から重症を診ておられますね?

 村井 そうですね。

 蓮風 先生は僕と一緒に『鍼灸ジャーナル』という雑誌に「難病シリーズ」という論文を20篇近く書いてきました。癌(がん)とかそのほか膠原病など色々診ておられると思いますが、鍼で治療してみて、やっぱりひとつの確信みたいなものができてきましたか?

 村井 そうですね。(蓮風さんが主宰する鍼灸学術団体の)「北辰会」に初めて行った時に先生の講義で、胸水だとか腹水も治るんだよという話を聞いたような気がするんです。病院に復帰してすぐにそういう患者さんを担当しました。そういう方法があるならやっぱり用いるべきだと思ったので、勉強し始めたところだったのですが、すぐに蓮風先生にご指導を仰ぎました。

 重症で入院されてるぐらいの方なんで、もちろん西洋医学の治療もするんです。けれども併用して患者さんもすごく満足されてましたし、鍼が効いてるっていう感じをお持ちでした。普通は利尿剤ばかりじゃなくてアルブミン製剤とか使うんですけど、鍼をした途端に便がたくさん出てスッキリするっていうのを繰り返しているうちに、利尿剤もそんなにたくさん使わずに胸腹水がきれいにとれていって、その後ずっと鍼を続けて、先生の所に紹介して鍼を続けていただいて、それで2年ぐらいまったく胸腹水が溜まらないでおられた記憶があります。

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 蓮風 これから先生の理想とする医療についておうかがいするわけですけれども、まず先生は両手に東洋医学と西洋医学をもっておられるわけですね。両方とも有効は有効なんだけれども、どうゆう風に使い分けたら一番いいと思いますか?

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 村井 うーん、そうですね。私自身は、まず西洋医学じゃなく、まず東洋医学の方を…。

 蓮風 ベースにして。

 村井 で、治療して、それでは難しいものだという場合に、西洋医学を補完的に使うというのがいいかなあと、私は思ってるんですけれども。

 蓮風 それはどういう理由によるんですか? 普通の西洋医学の先生であれば反対言うんですね。西洋医学をベースにして、補完的に東洋医学を使うというのが世間に多いわけですけれども、先生の場合は、全く逆転してますね。

 村井 そうですね。まず鍼の効き目が分かっているという前提があると思うんです。効いていることが確認できる。全然効かない治療であればね、最初にするということは考えられないと思うんです。それとすごく身体に負担が少ない非侵襲的であるということと、副作用が鍼の場合は少ないということですね。

 蓮風 それを先生はしきりに主張なさいますね。「難病シリーズ」で(身体への負担となる)侵襲性が少ないということをおっしゃってましたね。という事は、西洋医学で治療すると治るんだけれどもその侵襲性が結構あると?

 村井 ある場合もあると。

 蓮風 そういうことですね。ステロイドにしてもそうですよね。まあそういう医療だから病気を治すわけやけど、治す一面と、反対にまた悪くする面があるっちゅうのはかなりデメリットですよね。それをほとんどなくして治せることが理想ですよね。その他なんかアイデアみたいなものはありますか? これから理想とする医療を創っていく場合に。

 村井 どんなことでしょう。

 蓮風 例えば西洋医学ではよく健診なんかやるじゃないですか?

 村井 健診?

 蓮風 健康診断といっていいかな。そういうものを東洋医学的にやったらどうかなあっちゅうのが。

 村井 面白いですね。

 蓮風 僕の意見はそういうこと。癌とかなんかをみつけるのは難しいけれども、大きく身体が歪んでいる、だから健康に気をつけなければいかん人と、これはまあそんなに心配せんでもいいとか。あと生活習慣を聴いて、運動が足らんかったら運動をやるとか、食べ物をこういう風になおしたらいいんじゃないかとか、そういう健康診断を東洋医学でもやったほうが私はいいように思うんだけれども、いかがですか?

 村井 それはすごく思います。同時に鍼を打つ場合でも東洋医学ではすごく予防ということを重視されるではないですか?

 蓮風 全くその通りなんですよね。こういうドクターが沢山でてこられるとね、非常に有り難い事で、我が意を得たり、という気持ちで感謝しています。私にも一部、当てはまるけれど、東洋医学の側からの西洋医学に対する偏見みたいなものをなくすにはどうしたらいいですかね。

 村井 そうですね。やっぱりあの…。

 蓮風 勉強することでしかないですかね。

 村井 そうです。お互いにお互いの医学のことを全然知らないんですけど、昔よりは随分マシにはなっているんですよ。大学生の時に将来何をしたいって教授とかに聞かれて、東洋医学がしたいと言ったら、オウム真理教に入るのかというぐらいの扱いなんですよ。〈続く〉

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村井和さんと対談する藤本蓮風さん(写真左)=奈良・学園北「藤本漢祥院」

 鍼灸を治療に取り入れている医師の村井和・和クリニック院長をお招きした「蓮風の玉手箱」の5回目をお届けします。鍼灸師の藤本蓮風さんの治療を受けて「憧れていた医学」に出会ったという村井さんでしたが、医学生時代に東洋医学を志すとカルト宗教に入信するくらいの扱いを受けた、という話で前回は終わっていました。今回はその続きから…。そして患者の立場を最優先にして東西の両方の医学がうまく活用される方法を探ります。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 普通の病院、特に大学病院はそのぐらいにしか思ってないですよ。もう怪しげな宗教団体ぐらいにしか思ってないですね。これでもだいぶマシになったんですけどね。


 村井 そうですね。今は大学でも漢方の授業もあるといいますし。大学によっては鍼の事も教えてくれているみたいで。

 蓮風 実際、漢方やっても鍼灸をやらなかったらアンバランスというかね。そういう思いで、我々も大学の医学部で使われるような教科書をぼつぼつ書いているわけなんです。

 村井 そうですね。

 蓮風 どうすれば東洋医学を知らない若いドクターが興味を持つようになると思いますか?

 村井 そうですね。鍼が効くっていう事を教えてあげるのと、なにか悩んでいる症状があれば、腰痛であるとか、まずそれが鍼で治るよということを言ってあげて、実際に治してあげると、一番納得しますよね。まあ治療を受けてくれたらですけれども…。

 蓮風 先生の場合もそうやけれど、私は、病気を持っておられる、たくさんのドクターを治してきました。そういうドクターはついてくるんですよね。鈴村水鳥さん(小児科、東京女子医科大卒、北辰会会員)なんかも、「天疱瘡」という難病にかかって、(鈴村医師が学生当時の)助教授が(蓮風先生のところに)行ったら、どうやいうわけで、最初はね、信じてなかったけれども段々、のめり込んできたという感じです。だからドクターも実際、かなり病気を持ってると思うんですよね。

 村井 ものすごく不健康な人が多いと思いますよ。スポーツされている方は結構いいんですけどね。

 蓮風 ドクターたちの不健康をね、ひとつずつ治したら、ドクターも信じざるを得ないと思うんですがね。いかがですか?

 村井 うちの患者さんたちも主治医に反対された方々は「鍼でしか治らないような病気になって、鍼で治してもらったら、あの先生も納得してくれるんと違うんかな」とか、おっしゃいます。

 蓮風 先生がおっしゃるように、東洋医学をベースにして西洋医学を補完的にやる、私もそれが理想だと思うんだけれども、そういう病院ができるとね、一番いいんだけれども。どっかおりまへんかな? 50億か100億かちょっとポンと出して、世のため人のためにこういう病院を作りたいという奇特な方は…。僕はいい医療ができると思うし、その中で鍼灸師も、ドクターも育てるようなね、そういう教育システムを持つ医療機関であればいいと思います。いいと思います。
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 蓮風 中国では中西合作と言って、西洋医学も東洋医学もいいんだから、それを合作(協力)させようという考え方がありますね。これについては色々異論があるんだけれども、病院の中でも両方の医学のベースの違いをどうもっていくのかというのは非常に難しいと思うんですよね。そういうことについて何かお考えがあれば…。

 村井 そうですね。どの先生も、西洋医学と東洋医学と両方の知識をもって、その時々でこういう時はこうしなければならないとか、両方やった方がいいとか、そういうこと判断できれば一番いいと思いますけどね。

 蓮風 お互いの医学を解っておれば話もしやすいということですね。先日、C型肝炎ウイルスにかかって、それから肝硬変になった患者さん…某国立大学の偉い教授に「生体肝移植をやるしか救う道はない」と言われ、本人も悩んで、ついにうちの診療所に来たんですね。診ると、幸いな事に舌がものすごく綺麗、脈も非常に安定している、腹部所見もいい。だから、患者さんに、「よほど養生法を間違わなかったら上手いこといくぞ」と言ったんです。これほどね、西洋医学と東洋医学の見解が違うと、非常に困るんですよ。そういった場合に先生はどうお考えですか? 私は東洋医学の立場でこうこうだと言っていくんだけれども。先生みたいに両方の立場だと非常に難しいですね。

 村井 実際、本当に難しいです。今のところは、両方のメリットデメリットをお話しして、患者さんに決めていただくことになるかなと思います。

 蓮風 最終的にはそういうことですかね。非常に見解が一致する所も沢山あります。同じ人間の身体を違う角度からみてるけれども、当然そこにオーバーラップするところがでてきて、全く違う見解も結構でてくるんですね。そういった場合に、非常に難しいですね。将来そういう相談所みたいなものができたらいいですね。両方の見解を知っとって、患者が行ったら、あんたこっちに行った方がいいと、そういうコンサルタントみたいなもんが医療の中にできるとこれまたいいと思いますがね。先生に理想を語ってもらうと言いながら勝手に自分の理想を語ってしゃべっているみたいなんですが、いいですか。

 村井 先生の理想も私の理想も同じだと思います。<続く>

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