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初回公開日 2015.4.18

川嶋朗さん
鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は今回から元・東京女子医科大学附属青山自然医療研究所クリニック所長で、東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授の川嶋朗さんをゲストにお迎えします。鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんと、どんなお話が展開されるでしょうか。
まずは川嶋さんのプロフィルをご紹介して“本番”に入っていきます。
川嶋朗(かわしま・あきら) 東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授。昭和32(1957)年、東京都生まれ。北海道大学医学部卒業。米・ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院留学や、東京女子医科大学附属青山自然医療研究所クリニック所長などを経て現職。少年時代は児童劇団に所属し昭和45~46年、NHKのドラマ「へこたれんぞ」で主役を演じた。北大在籍中に東洋医学研究会創設・主宰。


藤本蓮風さん(写真左)と川嶋朗さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」
蓮風 川嶋先生とのお付合いというのは長いですよね。
川嶋 長いですね、もう20年以上です。
蓮風 そうですねぇ。今日はですね、先生がテーマにしておられる「統合医療」について、まったくの素人が聞きますので。
川嶋 あ、いえ(笑)。
蓮風 つまらんことを言うかもしれませんが、一つ御指導いただければ有難いと思っております。
川嶋 こちらこそ。
蓮風 事前に先生から私への質問をいただいてます。私の方からちょっと答えましょうか。
川嶋 はい、お願いします。
蓮風 まず、鍼灸を志した理由ですね。これねぇ先生にまだ言ってなかったんかなぁ。私のところは14代続く鍼医者の家系で…。
川嶋 はい。
蓮風 まぁ、300年以上歴史のある家に生まれて…本当は嫌やったんですよ。
川嶋 そうですか(笑)。
蓮風 父がやってる姿見てね。同じように人間の病気治しとんのにね…(一般の医者と比べて)華やかさがない、暗い。当時、当時のことですよ。今から50年前です。
川嶋 はい。
蓮風 そういうイメージがあって一回反抗して他の道を志そうとしたけど、それはやっぱりできなくて。これはやっぱり運命だなということから始まってですね。鍼をやり出したらもう面白くて仕方がなくなって、今年(対談日は2014年9月3日)でちょうど50年。
川嶋 あ、そうでしたね。
蓮風 半世紀。まぁ半世紀というぐらいやから、今までどうやったかという反省をする時期でもあると思っています。
川嶋 ああ、良いですね(笑)。
蓮風 節目ですから感慨深いものがあるんですけれども、先生がドクターになられたのはどういう…?
川嶋 僕はですね、これはちょっと話が長くなってしまうんですが。
蓮風 はい、どうぞゆっくり喋っていただいて。
川嶋 僕の身体には欠陥が2つありまして、ひとつは右の耳が聴こえない。これはもう1995年の4月の19日発症。そこまではっきり分かっている。突発性難聴で聴こえなくなったんですが、もう一つは、右足の腫瘍(しゅよう)です。
蓮風 うん。
川嶋 これは子供の時からのもので、僕は足が痛くないって人生(の期間)っていうのは一度もないんです。右足のふくらはぎがいつも痛いんですが、とにかく、医者にかかるのが大嫌いなんですね。
蓮風(笑)
川嶋 白衣を見たら床屋でも泣いてしまうぐらいの子で、世にも珍しい床屋で髪をほとんど切ったことがない子供でした。そのくらい嫌いなものですから、足が痛くても、なかなか親には言いませんでした。言うと(病院に)連れて行かれますから。で、まぁ、なんとなく黙ってそのまま過ごしてきたんです。
でも、やはり子供の時ってのは、親と一緒に風呂に入ると体を洗ってもらったりします。その時にあまりにも足を逃がす理由を親がしつこく聞くのでついに白状しちゃったんです。
蓮風 うんうん。
川嶋 それからですね、おそらく東京の大学病院、総合病院で行ったことのない病院はないくらい受診しました。どこへ行っても答えは同じで、切らなければ分からないと言われました。実は当時、先生もご存じかもしれないですけど、僕は子役をしてまして、レギュラーの番組をいくつも持ってましたので…。
蓮風 ほーう。
川嶋 親も馬鹿というか根性があったと言いますか。メスを入(い)れれば、当然その間(テレビに)出られなくなりますね。ですから、あっちの病院、こっちの病院へ。でも、結局どこへ行っても切らせないから分からないわけです。これではもうどうしようもないですね。
蓮風 うん。
川嶋 自分でも悩んでましたし。じゃあいっそのこと自分が、その嫌いな医者になろうと思った。そうすれば、医者に診てもらわなくてすみますからね。
蓮風 ははは!(笑)。
川嶋 まぁそういう意味で一つの理由としては、自分の不調の原因を突き止めるためでした。
蓮風 あー。〈続く〉



















