蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

カテゴリ: 東京有明医療大・川嶋朗教授との対話


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初回公開日 2015.4.18


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川嶋朗さん

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は今回から元・東京女子医科大学附属青山自然医療研究所クリニック所長で、東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授の川嶋朗さんをゲストにお迎えします。鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんと、どんなお話が展開されるでしょうか。

 まずは川嶋さんのプロフィルをご紹介して“本番”に入っていきます。

 川嶋朗(かわしま・あきら) 東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授。昭和32(1957)年、東京都生まれ。北海道大学医学部卒業。米・ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院留学や、東京女子医科大学附属青山自然医療研究所クリニック所長などを経て現職。少年時代は児童劇団に所属し昭和45~46年、NHKのドラマ「へこたれんぞ」で主役を演じた。北大在籍中に東洋医学研究会創設・主宰。

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藤本蓮風さん(写真左)と川嶋朗さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」
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 蓮風
 川嶋先生とのお付合いというのは長いですよね。

 川嶋 長いですね、もう20年以上です。

 蓮風 そうですねぇ。今日はですね、先生がテーマにしておられる「統合医療」について、まったくの素人が聞きますので。

 川嶋 あ、いえ(笑)。

 蓮風 つまらんことを言うかもしれませんが、一つ御指導いただければ有難いと思っております。

 川嶋 こちらこそ。

 蓮風 事前に先生から私への質問をいただいてます。私の方からちょっと答えましょうか。

 川嶋 はい、お願いします。

 蓮風 まず、鍼灸を志した理由ですね。これねぇ先生にまだ言ってなかったんかなぁ。私のところは14代続く鍼医者の家系で…。

 川嶋 はい。

 蓮風 まぁ、300年以上歴史のある家に生まれて…本当は嫌やったんですよ。

 川嶋 そうですか(笑)。

 蓮風 父がやってる姿見てね。同じように人間の病気治しとんのにね…(一般の医者と比べて)華やかさがない、暗い。当時、当時のことですよ。今から50年前です。

 川嶋 はい。

 蓮風 そういうイメージがあって一回反抗して他の道を志そうとしたけど、それはやっぱりできなくて。これはやっぱり運命だなということから始まってですね。鍼をやり出したらもう面白くて仕方がなくなって、今年(対談日は2014年9月3日)でちょうど50年。

 川嶋 あ、そうでしたね。

 蓮風 半世紀。まぁ半世紀というぐらいやから、今までどうやったかという反省をする時期でもあると思っています。

 川嶋 ああ、良いですね(笑)。

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 蓮風 節目ですから感慨深いものがあるんですけれども、先生がドクターになられたのはどういう…?

 川嶋 僕はですね、これはちょっと話が長くなってしまうんですが。

 蓮風 はい、どうぞゆっくり喋っていただいて。

 川嶋 僕の身体には欠陥が2つありまして、ひとつは右の耳が聴こえない。これはもう1995年の4月の19日発症。そこまではっきり分かっている。突発性難聴で聴こえなくなったんですが、もう一つは、右足の腫瘍(しゅよう)です。

 蓮風 うん。

 川嶋 これは子供の時からのもので、僕は足が痛くないって人生(の期間)っていうのは一度もないんです。右足のふくらはぎがいつも痛いんですが、とにかく、医者にかかるのが大嫌いなんですね。

 蓮風(笑)

 川嶋 白衣を見たら床屋でも泣いてしまうぐらいの子で、世にも珍しい床屋で髪をほとんど切ったことがない子供でした。そのくらい嫌いなものですから、足が痛くても、なかなか親には言いませんでした。言うと(病院に)連れて行かれますから。で、まぁ、なんとなく黙ってそのまま過ごしてきたんです。

 でも、やはり子供の時ってのは、親と一緒に風呂に入ると体を洗ってもらったりします。その時にあまりにも足を逃がす理由を親がしつこく聞くのでついに白状しちゃったんです。

 蓮風 うんうん。

 川嶋 それからですね、おそらく東京の大学病院、総合病院で行ったことのない病院はないくらい受診しました。どこへ行っても答えは同じで、切らなければ分からないと言われました。実は当時、先生もご存じかもしれないですけど、僕は子役をしてまして、レギュラーの番組をいくつも持ってましたので…。

 蓮風 ほーう。

 川嶋 親も馬鹿というか根性があったと言いますか。メスを入(い)れれば、当然その間(テレビに)出られなくなりますね。ですから、あっちの病院、こっちの病院へ。でも、結局どこへ行っても切らせないから分からないわけです。これではもうどうしようもないですね。

 蓮風 うん。

 川嶋 自分でも悩んでましたし。じゃあいっそのこと自分が、その嫌いな医者になろうと思った。そうすれば、医者に診てもらわなくてすみますからね。

 蓮風 ははは!()

 川嶋 まぁそういう意味で一つの理由としては、自分の不調の原因を突き止めるためでした。

 蓮風 あー。〈続く〉

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藤本蓮風さん(写真左)と川嶋朗さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授の川嶋朗(かわしま・あきら)さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談の2回目です。前回は川嶋さんが子役をしていた少年時代に足の痛みに悩みながらも“医者恐怖症”で、それなら自分で自分を診察できるように医者になろうと思ったという医学の道を志すきっかけが話の中心でした。さらにもう一つ医学部に進学した動機があったようです。(「産経関西」編集担当)

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 川嶋 もう一つの理由は、僕が中学生のときに母がリウマチを患いまして…。当時の医療というのは、かなり今よりもプアーで、なかなか痛みがおさまらない日々が続いていたので、それをなんとかしたいという思いもありました。医者になってしまえば、医者にかからなくてすむし、母の病気もなんとかできる。いっそのこと、一番嫌いなものになってしまおうと思ったわけです。

 蓮風 あー、そういうことがきっかけやったんですね。

 川嶋 はい。

 蓮風 何人か若手のドクターたちと話したんですけど、やっぱり自分が子供のころから身体が弱かったとか、それから、まぁ中には代々お医者さんやってるから問題なく医者になったという人もおりますがね。やっぱりその、きっかけが子供のころの自分ないしは周辺の人々の病気がなんとかならんかということが多いみたいですね。

 川嶋 そうですね、ですから最初は整形外科医になるつもりで、大学(北海道大学医学部)へ入ったんです。

 蓮風 うん。

 川嶋 そのころから診断技術が進歩してきて、在学中に全身を撮れるCTスキャンが初めて札幌市に入り、「撮るか?」と先輩から言われまして…。「ではお願いします」と…。そこで(痛みの)正体が“バレました”。右足に腫瘍が見つかった。20年以上経ってますから、さすがに悪性ではないだろうと…。

 「これを取ったらどうなりますか」と質問したら「お前のは相当に周りの組織に食い込んじゃっているから、いっぺんにガバッと取ることになるのでしばらく歩けなくなる」と言われました。僕はテニス部にいて、痛いながらも、普通に運動はできていたので「だったらいいです」と。「将来どうにもならなくなった時には切ってください」とお願いをして、結局、現在に至っちゃいました。ですから、昔、今みたいに診断技術が進歩していれば、たぶん子供の時にも分かって(医者になっていなかったかも知れず)今の僕はなかったかもしれません。

 蓮風 (それまでは痛みの正体が腫瘍だということも切ってないから、はっきりとはわからなかったんですね。)うんうん、なるほど。私も小池(弘人)先生から、ちょこちょことは聞いておったんやけれども。小池統合医療クリニック院長。群馬大学医学部非常勤講師。川嶋さんの教え子。(「北辰会」註)


 川嶋 はい。

 蓮風 先生が腎臓内科の非常に優れた先生だということを聞いておりましてね。

 川嶋 いやいや。

 蓮風 そうすると、そこからなぜ「統合医療」が出てくるのか、どういう結びつきがあったのか。ここらあたりについてちょっとお話ししていただければ。

 川嶋 これは今の話とも関係してるんですが、やはり医学に対する不信感が当然最初からあるわけです。どこ行っても、どんな著名な先生に診ていただいても僕の(足の痛みの)診断はつかなかったわけですから…。

 蓮風 うん。

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 川嶋 それからもう一つは、母のリウマチがコントロールできない。夜間泣きながら痛みを訴えることもありました。もちろん色々な民間療法などにも手を出しましたが、良くならず。ところがある日、一人の女性の鍼灸師に出会い、治療した日から夜スヤスヤ眠ったんですよ。

 蓮風 ほーう。

 川嶋 いや、これは侮(あなど)れないなと。

 蓮風 (笑)

 川嶋 ですからもう中学校のころに、鍼の良さを…。

 蓮風 それが鍼灸との最初の出合いですか?

 川嶋 そうなんです。

 蓮風 はぁ~。

 川嶋 これは何だ?というところからなんですね。

 蓮風 (笑)

 川嶋 で、まぁ僕もそこを訪れましてね。足が痛かったので、治療してもらった。僕は治るわけはないんですけど、腫瘍ですから。

 蓮風 はい。

 川嶋 ですけど、鍼は痛くないことがわかりました。鍼を刺すなんて、僕は大っ嫌いな注射みたいなものか、と思っていたんですが、そんなことはなくて。足そのものの痛みや腫瘍は取れないんですけども、なんとなく身体は軽くなる。これは侮れるものではないなと、そう思いながら医学部に進学したんです。僕はテニス部に所属していまして、その向かい側の部屋が文科系のサークルの部屋だったんです。2年生の時だったと思うんですが、帰ろうと思っていたら、ちょうど向かいの部屋の扉が半開きになっていて、覗いたら、鍼が見えたんです。

 蓮風 ほう。

 川嶋 なんだろうと思って入って行ったところ、麻酔科のドクターが、市民を相手に鍼のデモンストレーションをやっているところだったんです。中国鍼です。入って行った僕に、その麻酔科のドクターが「君は興味あるのか?」と質問してきました。当然僕は「はい」と答えたところ、ならサークルでも作ってしまえと言われまして。先輩後輩と一緒に北大医学部に「東洋医学研究会」を作っちゃったんです。

 蓮風 はぁー。それは先生が学生の時にですか。

 川嶋 専門に入る前です。

 蓮風 はぁー。

 川嶋 まだ教養にいるころで。

 蓮風 そうですか。

 川嶋 ですから西洋医学を学ぶ前ですね。

 蓮風 前に!

 川嶋 ええ、鍼の勉強始めちゃったんです。

 蓮風 かなりインパクトがあったわけですね。

 川嶋 ありましたね。その麻酔科のドクター…先生は中国鍼を主にやっていたので、結局中国鍼を使って(鍼を左右に回転させながら刺す)捻鍼を覚えて。彼が、週に一度ずつ、静内(しずない。当時:静内町で現在は三石町と合併して新ひだか町)というところに治療に行っていたので、たまーに付いて行って、そこで実際に患者さんの身体に触れ、ツボを探すための指導を受けました。そのうち触ればなんとなくツボの位置もわかるようになりました。ただ僕の師匠は目が鋭くて「ほらここは光が吸い込まれてるだろ」「ここが虚してるツボだ」と…。僕は全然分かりませんでした。いまだにそんな眼力は持っていませんので、見ただけでツボの位置がわかるなんてことはまずないです。

 蓮風 (笑)〈続く〉


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藤本蓮風さん(写真左)と川嶋朗さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授の川嶋朗(かわしま・あきら)さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談の3回目。川嶋さんが学生時代、北海道大学に「東洋医学研究会」を発足させたというエピソードの続きです。本格的に西洋医学を学ぶ前に東洋医学に触れたのは大きな「事件」だったようで、川嶋さんの医師としての世界観にも影響を与えているに違いありません。(「産経関西」編集担当)

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 川嶋 東洋医学研究会ですから、生薬の勉強も必要になりますね。これはまた不思議な話で、北大病院のすぐそばに小っちゃな食堂があって、よく食事をしたんですが、その近くに何とも奇妙な構えのお店があって、吸い込まれるように入って行くと、実は漢方薬局だったんですね。

 奥から先生が出てきまして…「君は?」と聞かれたので「北大医学部の学生で東洋医学研究会を作った」という話したら、それならうちの奥に古典がいっぱいあるからいつでも来なさいと。それから百味箪笥からいくらでも生薬引っ張り出して齧(かじ)ってもいいし、煎じてもいいし、何してもいいよって言われ、そこに日々出入りするようになりました。古典を読んで、基礎理論を研究会のメンバーと一緒に(大学での授業を受けながら)学びました。東洋医学研究会には5年いまして、その間2年間は代表をやりました。

百味箪笥:江戸時代、薬種商や漢方医が薬を保管するのに用いたタンス。たくさんの引き出しに生薬の名前が書いてある。(「北辰会」註)

 蓮風 ほー。

 川嶋 東洋医学研究会として初めて北大の学園祭に参加したのも僕が代表の時代です。

 蓮風 その頃は、もう西洋医学の勉強はなさってたんですか。

 川嶋 いやいや、当時は最初の2年間で一般教養(医学進学課程)でした。(注:当時も今も医学部は6年制で、現在は最初から専門分野=医学=を学ぶ)

 蓮風 そうなんですね。

 川嶋 はい、3年生から正式に医学部行くので専門はそれからなんです。

 蓮風 あー、そっかそっか。

 川嶋 ですから、まだ教養に居て、医学部に進学するのは分かっていたんですけど、その時代に鍼灸や湯液の勉強を始めたわけです。

 蓮風 その頃からやってはったんですね。

 川嶋 はい、解剖・生理をやる前に鍼灸の勉強を。

 蓮風 それが重要なんですね。私も医学部生を何人か教えたことがあるんですけども、3年生、4年生なってから聞くのとですね、その前に、西洋医学をやる前に聞くのとは全然違うみたいですね。それは大きなインパクトあったんですね。

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 川嶋 何しろ解剖をしながらツボに何かないかって探しましたから。結局、何も見つからないんですけど(笑)。

 蓮風 (笑)

 川嶋 本当に解剖しながら探しましたよ。「三里」はここなんだけど…って言いながら開けていって。

 蓮風 うんうん、なるほどね。

 川嶋 何にもないなぁって。

 蓮風 そうです、そうです。

 川嶋 何で上から触ると分かるんだろうって。やっぱり不思議な体験でしたね、解剖やりながら。

 蓮風 はぁー、そういうことから西洋医学やっても、ちょっとまた違う系統の医学も必要なんだということがわかるわけですね。〈続く〉

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藤本蓮風さん(写真左)と川嶋朗さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授の川嶋朗(かわしま・あきら)さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談の4回目です。大学で西洋医学を本格的に学ぶ前に東洋医学に触れたことが川嶋さんの医師としての“下地”になったようでしたね。今回は本格的に大学で臨床や研究に関わってくると“西洋医学漬け”になってしまったという、お話。そんな川嶋さんがなぜ再び東洋医学に“目覚めた”のか。それには意外なエピソードがあったのです。(「産経関西」編集担当)

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 川嶋 東洋医学と西洋医学の両方を勉強しながら、鍼は免疫に関わるのではと考えて、免疫系に絡んだ専門を選ぼうと思いました。本来免疫をやろうと思ったら、臨床では血液内科に行くんでしょうけれども、当時は学生ですから、そういう頭があまりありませんでした。
 

 蓮風 なるほど。

 川嶋 たまたま先輩が腎センターに居て、見学に行った時に、腎臓移植を見せられて、当時の免疫抑制の実態を知りました。そういえば腎臓病は免疫に関わる部分が多いと気づいたんです。腎臓は免疫のターゲット臓器ですしね。

 また、北海道は腎臓に関しては不毛の地と申しますか、あまり重点が置かれていませんでした。自分としては不得手な方面で、その不得手なものを補う方が良いという感覚もあって、腎臓内科を選んだわけです。そして、最初の数年は完全な西洋医学漬けです。臨床研修も普通に周り、それから研究も自分なりにやりたいことができて、西洋医学漬けの日々を送りました。

 蓮風 あー。

 川嶋 研究テーマを決めるとき、教授に「免疫をテーマにしたい」と主張したのですが、一向に首を縦に振ってくれず…。

 蓮風(笑)

 川嶋 そこで卑怯な作戦を考えました。当時まだうちの教室は講座になったばっかりで、大学院生がいませんでした。僕は「研修医」として医局に入る前に大学院(への進学)はどうでしょうと質問したことがあったのですが、まあ無駄だし、自分は(大学院生を)取る気もないから止めとけと言われ、あぁこの先生は(大学院生は)嫌いなんだという印象を持ちました。

 しかし、僕が免疫と言うと、駄目だと許してくれない、やりたくもないことをやれとおっしゃるのであれば、研究だけの生活を送る必要があるので、大学院に入って臨床は二の次にしますよ…、と脅したつもりで(大学院生になりたいと言ったはず)だったんです。すごく臨床を大切する先生だったので、断られるかと思ったら、「良いだろう、入りなさい」って言われてしまって引っ込みがつかなくなり、結局、うちの教室の大学院生第1号になってしまいました。

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 蓮風 うん。

 川嶋 そこからは、今度はリサーチ漬けです。基礎系のリサーチをずーっと4年間やって学位を取りました。基礎系の勉強をすると今度は海外に行きたくなりました。“留学病”です。もうあちこちに手紙を書いて。それでOKが出たのがたまたまハーバード大学(米国)だったので、ハーバード大へ留学したんです。

 その時は頭も全く西洋医学漬けですので、鍼も漢方薬も自分の中では補助的に持って行くぐらいの感覚でした。留学前に実は(東京)女子医大に東洋医学研究所ができて誘われたんですが、もう頭の中には東洋医学の選択肢はなく、そこに移ろうなんて気は毛頭ないまま留学をしました。

 鍼はワイフの肩凝り用くらいのつもりで持参しました。それから花粉症気味だったので、そのための漢方薬も少し持っていきました。ところが、ボストンに行きましたら、花粉症が出ることがなくなってしまい、漢方薬は、お蔵入り。鍼は、かろうじてワイフに使用する程度。とにかく研究の日々でした。研究のシステムは全然違ってますし、もともと日本だったら8時間かけなきゃやれないことが、3分の1くらいの時間でできちゃうので、やはり、この国じゃなきゃノーベル賞は取れそうにないと、半ば大それてはいたのですが、ここでノーベル賞を目指す気持ちも湧いていました。

 そんなある日、うちの(実験助手などをする)テクニシャンが、首を寝違えてラボに来まして。痛そうにしてたんで、「治してやろうか?」って言うと、「何するんだ?」と…。「オリエンタルマジックだ」って言って、たまたま鍼を打ったら、あっという間に効いてしまったんですね。それを周りが面白がってですね、俺も俺もって言うんでもうしょうがない。

 「じゃあ打ってやるよ」みたいな感じで、みんなに打ったりして、遊びながらやっていたら、ある日、マサチューセッツ工科大学から、「セミナーをやれ」と言ってきました。当然僕がやってる遺伝子の発現調節の研究に関するセミナーだと思っていたら、「そうじゃない、アキュパンクチュアーだ」と。acupuncture:鍼という意味の英語

 蓮風(笑)

 川嶋 「そんなもん、できるわけないでしょ」って、最初は断っていたのですが、しつこいんです。とにかく、うんと言うまで何度も。あんまりしつこいんで、分かった、どうせ(鍼には)無知の連中相手にやるんだから大したことないだろうと思って、受けることにしました。

 ところが、そこではたと気づいたのが、鍼の専門用語を英語で一切知らなかったこと。慌ててニューヨークまで車で飛んで行き、紀伊国屋(書店)で探しまくって、1冊だけ英語の鍼の本が見つかり、それを頼りに専門用語を自分の頭の中に叩き入れました。

 それでMIT(マサチューセッツ工科大学)でノーベルプライサー(ノーベル賞学者)を前に、鍼の講釈をたれてしまいました。日本人は質問が少ないのが特徴なんですが、欧米人は違います。黙っていてわかる人種ではないので、アメリカやヨーロッパで発表すると、マイクの前に質問者がずらっと並びます。ましてや今回は天下のMITで、ノーベルプライサーもいるわけですから、どんな質問が飛び出すやら、ヒヤヒヤしていました。

 ところが、終わった途端に僕の教壇が(受講者たちに)囲まれまして「脈を診ろ」って言われたんです。診ましたら、これはまた非常に分かりやすくって、「liver(肝蔵)が弱いんだろ?」って言ったら、「何で分かるんだ!?」って始まるわけです。さっき話ししただろと。「ここの指はliverを表していて、この脈の弱さはliverの弱さを示していると説明したはず」と。「面白い、どうしてそんなことを日本人はやらないんだ」って言うので。

 だから「日本人は頭がかたいんだ」と返しました。セミナーでは見えないエネルギー、つまり「気」の話もしました。日本なら頭ごなしに否定されてしまうような内容でもノーベルプライサーたちはそれを面白いととらえ、気も研究対象にしようというのです。日本人がやらないなら俺達がやっちゃおうかみたいな会話まで飛び出してきました。冗談じゃない!気や鍼まで黒船か?と、突然反発心が湧き上がってきました。〈続く〉

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藤本蓮風さん(写真左)と川嶋朗さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授の川嶋朗(かわしま・あきら)さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談の5回目です。前回は西洋医学にどっぷり漬かって米国留学をした川嶋さんがひょんなことからMIT(マサチューセッツ工科大学)で鍼や「気」の講義をしたら、日本では想像できないくらいに注目されて、危機感を覚えたという話でした。今回はその続きですが、本題の前に川嶋さんの多彩多能な一面の話題から。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 話がそれますけど、フランス語をとても立派にお話しなさるようですね。

 川嶋 ええ、まあ。僕は中学、高校時代は第1外国語がフランス語なんです。

 蓮風 ははは(笑)。

 川嶋 当時、英語は、第2外国語だったので、入試は全部フランス語で受けました。

 蓮風 あー、頭の良い人は何でも出来る(笑)。

 川嶋 いや、そんなことないです(笑)。

 蓮風 あー、そうですかぁ。

 川嶋 はい。

 蓮風 そういえば、フランス人のお坊さんを紹介していただきましたよね。

 川嶋 ユウカイさんですね。面白かったですね、あの人。

 蓮風 面白かったですよー。

 川嶋 奈良のお寺で会いました。

 蓮風 今フランスに帰ってるでしょ? 確か。

 川嶋 はい、帰っていると思います。

 蓮風 「フランスの友達連れて来たいけど遠すぎてなー」って言うてはりました()
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 川嶋 欧米人が「気」や鍼の分野にまで興味を持って、進出する気満々だという(前回の)話にもつながりますが、マクロビオティックなんて日本食です。それが、日本では相手にされず、欧米が注目して広がり、日本に逆輸入。これ、日本の恥ではないでしょうか? 「気」や鍼も逆輸入なんてことになったら、それこそさらなる日本の恥だと、急に腹が立ちまして。欧米は時間もお金もふんだんにあって、しかもノーベル賞取った人間がやり始めたらこりゃ大変と思ったわけです。
 
 蓮風(笑)

 川嶋 そこで突然、気が変わっちゃったんです。日本へ帰って腎臓病学の中に漢方薬や鍼灸を取り入れようと。

 蓮風 今の話をずーっと聞いておったら、なんか最初から統合医療みたいな感じですね、先生のは…。

 川嶋 ははは!そうかもしれないですね()

 蓮風 西洋医学も医学やし、東洋医学など西洋医学側からすれば周辺にある医学も医学なんだという自由な発想が先生にはあったわけですね。だから欧米人の積極的な関心に危惧を抱いたということでしょうか?

 川嶋 そうですね。僕は先生の様に代々続いた医者ではありませんし、医者の何たるかっていうそういうコンセプトもありませんでしたから。まぁせっかくやるんなら何をやってもいいだろう、という感覚はありました。

 蓮風 なるほど。

 川嶋 ですから一番被害を被ったのはうちのワイフで。日本には帰らない心づもりでアメリカに来たのに、ある日突然帰って、鍼・漢方を取り入れるぞって言い出したもんですから、よくぞまぁ未だに飽きずに付いて来てくれてるもんだと。頭が上がらないような状況が続いています。それで、すぐ帰国して、まず、東京女子医大に帰る前に、実は北里大学の東洋医学研究所の門を叩いたんですが、もうその時は本当にけんもほろろに断られました。

 蓮風 はぁ。〈続く〉

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