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中国を研究する杉本雅子・帝塚山学院大教授との対話(9)
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「鍼の力」をさまざまな方向から語ってきた杉本雅子・帝塚山学院大学教授と蓮風さんの対談も終盤に近づいてきました。今回は患者が育った風土で治療の仕方も違ってくるという話が出てきます。不思議な印象も受けますが、心身は生活する環境に影響を受けるので当たり前のことかもしれませんね。蓮風さんの診察の段取りの説明も出てきますが、舌をみたり脈をとったりもしますが、一番大事なのは…? それはおふたりのお話をお読みくださいね。(「産経関西」編集担当)
中国を研究する杉本雅子・帝塚山学院大教授との対話(8)
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鍼灸師で「北辰会」代表の藤本蓮風さんと帝塚山学院大学教授の杉本雅子さんの「鍼(はり)談義」の第8回目をお届けします。今回は杉本さんが患者側の率直な疑問や、願いを蓮風さんに伝えてくださっています。買い物をするときは「賢い消費者」が得をするのと一緒で、病気になったときも「賢い患者」になったほうが得なのは当たり前のようです。ただ人それぞれの価値観や「体の性格」があるので選択肢も多様のようですね。回を重ねるごとに「鍼」への印象が変わってきた方も多いようです。今回は「鍼」も色々だということがさらに理解できるのではないでしょうか。(「産経関西」編集担当)
蓮風 宿直にあたった。そこで夜中に何が起こっても大抵処置しないかん。
杉本 うん。
蓮風 そのドクターが、腹痛の患者を診たらねぇ、やっぱり盲腸やということがあるんだって。 で、西洋医学的な鉄則からいくと本当は手術をせないかんらしいのだけども、「わしは鍼したら治ると思うんやけど、どないしたら良い?」ってそのドクターが(私に)聞くわけ。〈続く〉
杉本 うん。
蓮風 だから、鍼やるんやったら、「もしこういう反応出とったらこうせぇ、そうじゃなくこっちにこういう反応出とったらこうしてみたらええんやけどな」って(教えた)。そしたら、その通りそのドクターが自分の判断でやりよって、そのドクターが翌日(その患者を)覗きに行ったら、なんと! 治ってたらしい。
杉本 あらら。
蓮風 で、冗談で、その、内臓外科の別の先生が「わしの(手術の)仕事の邪魔したらいかん」って(笑)。これまぁ冗談やけども。そのようなこともできる。
杉本 盲腸なんていうのは、どっかの炎症だからっていうことですかね?
蓮風 いやぁ。我々は腸癰(ちょうよう)っていって、腸のおできというものは、やはり気血の巡りが悪くなっているから、上廉(じょうれん)=巨虚上廉(こきょじょうれん)、上巨虚(じょうこきょ)ともいう=というツボを使って、ほとんどが正気の弱りがさほどなく、邪熱や瘀血や湿痰などの邪気が中心となる“実型”やから、そういうツボに(実際に反応が出てれば)鍼を刺してうまく邪気を散らして気血のめぐりを良くする術をやると腹膜炎も起こらない。ところが…。
杉本 ところが?
蓮風 (国立民族学博物館名誉教授で大阪・吹田市立博物館館長の)小山(修三)先生っていうのは面白い人で、私の患者でもあるんやけど、ある日もう、吐き下ししてね「どないした?」って言ったら「いや俺は藤本さんの鍼を受けたら治るんや」って言って来たんやけど、脈診たらどうもおかしいんや。で、鍼一本もせんと、ちょっとツボを調べてみたけど反応が悪いから「これは先生すぐ外科行かなあかん」って。ほんであの時は病院に行ってもらった。なんだかんだ4時間かかって、やっと盲腸から来た腹膜炎やと言われた。
杉本 はぁ。もう腹膜炎になってたんだ。
蓮風 だから俺はもう危ないから早くやれって言うてるのに…。そこまで見破るんですよ。だから、そういう本当に腕のある人にかかったら、まぁ安心・安全。
杉本 要するに先生は西洋医を否定しているわけじゃないんですよね、全然。
蓮風 そう!してない。
杉本 うん。それで何、西洋医はそれで調べるのに時間かかっちゃったんですね。
蓮風 そこが面白い。機械をたくさん使って4時間かかってる。僕は脈診と舌と、お腹を触るだけでわかった。
杉本 ほぉ~ん。
蓮風 これも、東洋医学のやっぱ凄い点じゃないですか?
杉本 そうですね。
蓮風 人間の五感を頼りにしてやっているけど、なんか一見、主観的とかなんとか言われ、怪しげに見えるけど、そうじゃなしに、客観性をとらまえているから、そういうことが言えるわけ。
杉本 うーん。いや怪しげっていうのは多分ね、関係無くて、怪しげって思えるのは、そのなんか、やっぱ診立ての個人差があるからだと思います。
蓮風 あぁ、なるほどね。
杉本 診たての個人差がね。怪しげって見せてしまう。マニュアルがある方の医学は、マニュアル通りにやっていれば、まぁ当たらずといえども遠からず。10のうち8くらいは、ヒットするかなって。東洋医学はなかなかそういう風にいかない。マニュアルはあるけれども、そのマニュアルの使い方っていうのにマニュアルがいるくらい。
蓮風 そうそうそうそう。
杉本 そういうようなものなので、あまりにも、こう、深いものなのですからね。それ使うとやっぱり使う側の腕によって1から10くらいまで差が出てしまうかもしれない。で、その1の方を見た人は「あれ~?」って思う。10の人を見た人は「奇跡だ!」と思うかもしれない。
蓮風 うん。うん。
杉本 このね、やっぱり、差が出やすいっていうのはね、これは、まぁもちろんですけども、鍼の先生方にそこはちゃんとして頂きたいというのが受ける患者としてはあります。
蓮風 そうそうそう。
杉本 でもそうするとね、患者も鍼にかかるときに、一体どこの鍼の治療に行っても、まぁ蓮風先生が盛んに鍼は凄いよってやってらっしゃるけど、でも一人、1から10のうちの1程度の腕の人に見てもらったら、それでいっぺんにね、鍼に対する評価がごぉーんっと落ちちゃうわけですね。ありましたよね、去年。あの、死んじゃった人。本当は打っちゃいけない人が打ったかなんかして。あぁいうことがあると皆今度は逆に鍼灸院を十把一絡げにして、だめだみたいな風に扱ってしまう。そこで、蓮風先生に、皆さんに向かって鍼は凄いよっていうのを言って頂くと同時に、だけど、鍼灸院は全部が同じじゃないよっていうね、そこはね認識して貰うようにしないと、間違いが起きると思うんですよね。
蓮風 そうですね。それはありますね。それをねぇ、40年間、私、業界に向かって、ずぅーっと発信してきた。
杉本 そうなんですね。
蓮風 だけど、もう疲れた。
杉本 ははは(笑)。
蓮風 だから、それやったら、消費者の側が賢くなったら、商品はよくなるというセオリーにしたがえばいいと…。患者さんが賢くなってちょっとでも鍼の本質がわかったら、どの先生が立派かってすぐわかるんだという立場で今ブログ(「鍼狂人の独り言」)とか、このサイト(蓮風の玉手箱)をやっているわけ。
杉本 ぜひ本当に、根本のところを勉強した先生に、やって頂きたい、打って頂きたいと思いますもんね。
蓮風 そうそう。そういうことなんですよ。
杉本 で、先生、これから何か、こんなことしたいみたいなこと、おありになりますか?
蓮風 あー、それはもう沢山ありますけどね。
杉本 ええ。
蓮風 ただやっぱり、なんと言ったかって臨床家やから、毎日鍼を持っている事だけで、もう大変な発見ができるんですよ。
杉本 はぁ~。もう何人くらい診られましたか?
蓮風 1日にですか?
杉本 いやいや、延べで。
蓮風 あぁ、延べで言うともう70万人近いんじゃないですか。だけど、そんだけやっても、毎日がワクワク、鍼を持つとね。
杉本 どうしてワクワクされるんですかね?
蓮風 いや、やっぱり、新たな発見があるから。
杉本 ふーん。あっ、それはやっぱりあれですよ、オーダーメイドだからですよ。
蓮風 うん。
杉本 一人一人違うから、この人に合わせて、今日はどこにしたらいいかなっていうのは、先生がいつも考えてらっしゃるから。
蓮風 そうそう。それでね、古典理論は使っているんだけど。古典を乗り越えるような理論が見え出してくるんですよ。それがまたワクワクする。〈続く〉
中国を研究する杉本雅子・帝塚山学院大教授との対話(7)
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「蓮風の玉手箱」は杉本雅子・帝塚山学院大学教授との対話の7回目です。毎回、素人には眼からうろこの話題が飛び出す「玉手箱」。今回も期待してくださいね。自分の心や体とのつきあい方の参考になるかもしれません。今回の対談を読まれたあとにあらためて心と体の関係について考えてみてはいかがでしょうか。(「産経関西」編集担当)
蓮風 まぁ、そうですね。
杉本 今日も来た時になんか、あんなに白衣着た人がぞろぞろ居たら怖いわと思って。どこの病院でもこの頃こんなに先生いないのに、みたいな気がしましたから。
蓮風 そうです。
杉本 びっくりしましたけども。まぁ、熱心さの表れという、ね。
蓮風 そうですね。今日も ある患者がかなり遠方からね、治療に来てるんですよ。
杉本 そうなんですか。
蓮風 で、これも、あのー、医学生が自分の親戚が肺ガンになったから診てくれって。
杉本 はぁ。
蓮風 医大のドクターはどない言ったかというと、「もうガンは間違いないけど、どういう治療したらいいか、検査をかけないかん」と。ところが、僕が鍼をやったら血痰吐いてしょっちゅう苦しかったのが、もうわずかな間に咳が減って血痰も出なくなった。
杉本 うん。
蓮風 ほんで、一回 御自宅に帰って、また今来て、どうも調べたらあんまその、癌の形(大きさ)が変わってない。
杉本 ふーん。大きくなったりして無い。
蓮風 だから、その辺り(癌自体は変わっていないのに、癌による咳や血痰が激減していること)がね、非常に興味深くなってくるんですわ。西洋医学をやりながら東洋医学の本質をみている人はね、生きた東洋医学を常に求めていくんですよ。だから今、現実におこってる病気を治さんかったら意味がないんですよ。
杉本 うん。本当ですね、今みたいな時にね、心も結構、皆さんやられてますでしょ? 体がやられたら心もやられるということになりますからね。
蓮風 僕の患者さんには精神科までもいかんとしても、神経質の鬱(うつ)の人が多い。
杉本 うん。
蓮風 普通はねぇ、ああいった病気は、この、お話を、カウンセリングを一生懸命やるんですよ。そんなことせんでもね。身体の方を、五臓六腑のバランスをととのえると、極端に言ったら人間が変わるんですよ。
杉本 ふんふん。
蓮風 もの凄い悲観的に考えとったのが明るくなってきてね。
杉本 ほお。
蓮風 だから、体というのは心、魂の器やから、その器をね、器をどれだけ元の状態、健康な状態に戻せるか。それが上手くできたらね、心まで変わっちゃうよ。
杉本 うんうん。
蓮風 実際そないして鬱から解放された、と感謝してくれた例がたくさんあります。
杉本 まさに「病は気から」ですね。「気」を整えて体が良くなったら精神も良くなってくるということなんですね。
蓮風 そうなんです。そうそう。精神もその気のひとつなんですよね。だから、そこら辺りになってくると、鍼の技もあるんやけど、その人の持っている勢いというか、人間性というか、そういったものがね、ごっつ影響する。鍼はあくまでも、物質ですよ。この物質を生かして使うか、生かさんか。それは、やっぱその人の人間性にあると僕はみてるわけですが。
杉本 うん。打つ側のね。
蓮風 そうなんです。
杉本 まぁね。だからまた難しいんですよね。
蓮風 まぁね。そう。
杉本 だから
蓮風 だから、僕が今言うてる
杉本 注射をここの場所(前腕内側を指す)に、注射液入れたら、血液が巡って治りますよって、さっき言ったようなオートメーション式だったら、話は簡単なんだけど、鍼の場合は、打つ人の腕によって効果が変わるっていうね、ここが難しいところですよね。
蓮風 ねぇ、先生今せっかく注射の話なさったけども、
杉本 うんうん。
蓮風 あのー、フォン・シーボルト。(蘭方医の)シーボルトが、あの、江戸の、その、石坂宗哲という鍼の名人に、鍼を教わった。で、そのことをオランダ語で解説したやつが残ってるんや。
蓮風 え、その時に差し出したのが『鍼灸知要一言』という本。で、鍼でこないして病気が治るということが書いてある。で、シーボルトが真似してやったけど、そう簡単にできない。
杉本 当たり前。
蓮風 オランダへ帰って、この鍼と、薬を合わしたらどうや。薬鍼という発想。今中国でもやってますね。
杉本 あー、はい。ありました。
蓮風 あったでしょ?
杉本 広州でありました。見ました。
蓮風 うん。で、それはね、鍼は使っているけどね、これはやっぱり薬。
杉本 そうなんですよ。
蓮風 ところが、これがまた面白い事に、医者がやる肩こりの注射っちゅうのがあるんですよ。知ってる?
杉本 いや、知らないです。
蓮風 とあるドクターがね、肩こりのところへね、なんか薬液を注射に入れてポッポッポやるみたいなんですよ。うちに頻繁に研修に来るドクターのなかでも、特に麻酔科のドクターは、上手いと思いますがね。
杉本 あぁそうですか。
蓮風 うん。なんかね、僕らから見たらあれ小児鍼ですわ。
杉本 子供用だと。
蓮風 そうそう。
杉本 深く刺さない。
蓮風 そうそうそう。
杉本 いや、でも今小児鍼とおっしゃいましたけど、なんか鍼にもいろんなものがありますね。
蓮風 もう。だから(「東洋医学のバイブル」といわれる『素問』『霊枢』の中の)古代の九鍼っていうのは色々な意味を持っている。
杉本 で、なんか、ヒョコヒョコ、ヒョコヒョコってされて、で、終わり?みたいに思っていたら、お腹が急にね、もの凄く動き出したんですよ。「先生、何したの?今」っていうくらいの感じだったんですけど、あれは先生が初めにされたってことですか?
蓮風 いや、あの、日本の元々「打鍼(だしん)法」っちゅうのがあったんだけど、それを現代的に甦らせたと、形と手法を変えて。
杉本 変えてっていうことなんですね。
蓮風 そうです。そうです。
杉本 するとオリジナルに近くなりますね。これがそれですか?
蓮風 そうです。
杉本 あぁ~。なるほど、これ、こんなんだったですね。スコン!みたいな音がして。
蓮風 えぇ音したでしょ?
杉本 そう、いい音がするんですよ。スコン!って。
蓮風 あれね、先生のお腹が、あの、空気がようけ入っとったから(笑)。
杉本 そうそう。だから動いたんですね。あぁ、なるほどわかりました。その後にね、さっきもお話ししましたが、あの、虫に刺されて、えらいことになったら、今度は鍼でひっかくっていうのがあって、鑱鍼(ざんしん)っていうんだって教えて頂いた。私達の感覚ではね、鍼がまさかそういう、なんか、外傷とはいいませんけど、外部からのものに効くっていう感じ無いですよね。
蓮風 それはね、先生ね、非常にいい事仰ってくれた、それはね鍼の起源という事に関わってくる、で、元々鍼は、あの、外科の手法のひとつなんです。
杉本 そうなんですか。
蓮風 だから、おできを切ったり、膿を出したんです。韓国のドラマにも出て来てたでしょ?
杉本 ほぉ。
蓮風 はい。で、そういう外科から始まって、だから古代中国の名医、華佗(かだ)なんかは、外科で鍼の名人やったわけです。
杉本 ふーん。
蓮風 だから外科医者に鍼の名人がおったっていうのは、そういった関わりがひとつある。そういう歴史をしってない。鍼灸師が知ってない。
杉本 あー、まぁ私達一般人は当たり前として。うーん、なるほど。ということは、鍼にはまだまだこう、無限の可能性があるという気がしますけどね。
蓮風 だから、これがハリ合いのある人生(笑)。〈続く〉
中国を研究する杉本雅子・帝塚山学院大教授との対話(6)
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「蓮風の玉手箱」は、まだまだ鍼灸師の藤本蓮風さんと杉本雅子・帝塚山学院大学教授の「鍼(はり)談義」が続きます。おふたりの話から、鍼は「まじない」でも「奇跡」でもない古来からの知恵だということを再発見した思いがする方も多いのでは? 今回も、そんな眼からうろこの話題がいくつもありますよ。(「産経関西」編集担当)
杉本 この間、虫にさされて腫(は)れ上がってたときにやっていただいた、鑱鍼(ざんしん)。あれって普通にもやるんですか。
杉本 ふむふむ。あれ皮膚の軟らかい赤ちゃんなんかはやっぱり無理なんですか。
蓮風 いや、加減してやればいい。
杉本 あ、さては先生、私が歳やと思って、おもいっきり(笑)。
蓮風 それこそあのー、そういう赤ちゃんの場合やったらあの、バターナイフで撫(な)でるだけでいい。
杉本 あっ、なるほどね。
蓮風 もう頭柔らかくして、もう古典を読んどったらもう様々なこと言ってるわけですよ。一言で。でそれをね、原典はとにかく応用できるように考えればいいんですよ。僕はそういう古典の読み方してるから。
杉本 実践から理論ですね。
蓮風 まぁまぁそうですね。
杉本 それ結構キーワードだと思いますよ。中国医学を今やっていく上では。
蓮風 我々、北辰会によって『体表観察学』という本が間もなくできるんですね。あれは中医学(=中国医学)にはないんです、ほとんど。だから(中医学の権威として有名な)鄧鉄涛先生もね、それを知ってるから日本の腹診を取り上げておられるんで、できたらあの辺りをね、穴埋めさしてもらったらね、中医学自体が良くなる。
杉本 そうですよね。あれ(体表観察)は日本の発祥ということですか。じゃなくて中国にも元々あったけど消えちゃった?
蓮風 そうそうそう。でそれを日本人ちゅうのは手の感覚がいいから手で触ることを中心に診断学を発展させたっていう。
杉本 難しかったのかもしれないですね。やっぱり手で触るんやからね。
蓮風 あーやっぱり難しいですよ。だけどこの間、鄧先生と握手したら…。
杉本 柔らかい手でねぇ。
蓮風 いい手ですわ。だからあれはたくさんの人を治したなっちゅう感じしますわ。
杉本 手技すごかったじゃないですか。ビデオで見た筋無力症の治療手技。こう、こうやってだんだんよせてって。先生が亡くなったら(術が)消えちゃうから、だからそういう治療法を残しておかなきゃいけないっていう、つまり広州中医薬大学の中でそういうプロジェクトを組んで、やってるんですよ。で、治療法を撮ってるんですね。ビデオにね。鄧先生の治療法、なんかこう背中にどんどん波寄せていくみたいに…。
蓮風 それはね先生、だからそういう鄧先生のあれもすごいんだけど、また民族学の小山修三先生(国立民族学博物館名誉教授、吹田市立博物館長)がね、「お前、手を研究するんやったらこれ見とけ」言うて(オーストラリア先住民の)アボリジニーのね、ヒーラーの手を写真を見せてくれた。それがね、我々と同じような手してる。
杉本 へぇー。
蓮風 だからねぇ、あのいろんな理屈とかいろいろあるだろうけど、とにかく人を癒やしてるっていうのはすぐわかる。鄧先生の手に触れた時に、あっ、これはたくさんの人を治したなと、わかりましたねぇ。
杉本 なるほどねぇ。
蓮風 とにかく病気は治してることはわかる。うん。それじゃさっきの話に戻そか。
杉本 本当にね、でもあんなの(鄧先生の治療)見たことないですよね。びっくりしました。で手当てっていう言葉があるじゃないですか。
蓮風 そうそうそう。
杉本 その手当てって言葉は一体何って言ったら、やっぱりこう痛いところを、こどもが転んだ時なんかにお母さんが、なでてさする。それだけで痛いのが治まるっていう。
蓮風 小さい子供がおる母親が、子供がこけて「痛い痛い」言うたら「どこ!?」ってこう触ってる。あの癒やしこそが原点なんです。
杉本 うんうん、やっぱりねぇ。
蓮風 自分でもこう(手を当てて)やってるけども、母親がもってきたその手っちゅうのは、そういうぬくもりがねぇ、もう医学そのものなんです。
杉本 うーん。手当てっていう言葉は本当にそういうことですよね。
蓮風 だからそれを忘れた医学…。だから体表観察学いうのは深い意味があるんですよ。
杉本 そうですよね。そりゃそうだと思います。
蓮風 サーモグラフィとか使って温度差で体表観察の一部はわかる。せやけどほら、さっきの話、形にしないとわからん連中ばっかりでほら、こういう風に形にも出るよという手段にはええけどね、あれでもって体表観察の全てじゃない。
杉本 それだけでやったらね、絶対ダメですよね。
蓮風 だから人間の感覚いうのはずっと上なんですよ。
杉本 そうですよねぇ。
蓮風 だからね、このいい手で触られるとね、もうそれだけで癒やしですわ。
杉本 うんうん。まぁ手当てって言葉自体が、なんか報酬でもらえるお金みたいになっちゃったから、手当て自体もあんまりわかんなくなっちゃったのかもわかんないですけどねぇ。たぶんね、日本にね、手当てって言葉が入ってきたときはそのまんまちゃんとそういう意味だったと思うんですけどね。ほら、「病は気から」っていう言葉なんかもね、みんなが病は気(気持ち)からって言うけど、私は病は「気」からって言うんです。
蓮風 なるほど。
杉本 「病は気から」って言ったらみんな、気の持ちようでしょって。違うよ、病は「気」の流れが乱れるからだよって。どっかの「気」の流れが乱れるから、病になる。だから「気」からなんだよって言うと、みんなが納得してね。オォーって言うんです。なんか日本人が勝手に解釈して、気持ちからになってしまってるけれども、やっぱり本質は…
蓮風 それは気の中の一部なんだけどね。
杉本 ほんとにそうなんですよ。
蓮風 この前、僕が杉本先生から中国語のレッスンを受けているとき、中国人が病気治すのは「ティアオティアオ・シェンティ」っておっしゃった。身体を整えるんだという。あれこそが東洋医学。
杉本 「調調身体(ティアオティアオ・シェンティ)」ですよね。
蓮風 うん。病気治すんじゃない。あの病治すんじゃない。身体を整えるんだというあの発想こそが『素問』の考え方なんでね。
杉本 養生とかね、全部そういうことですよね。 いや、私自身ね、先生、昔からね、医者が血液検査すると、白血球が異常に高いとか出るんです。でも原因不明って言うんですよ、医者は。そしてしまいには特異体質ですねって。
蓮風 あぁいうこと言うねん。
杉本 私、特異体質かよ。みたいな。エイリアンじゃあるまいしとか思うけど、わからないと特異体質だって言うんですよ。でも特異体質って言ってもなんかやっぱりあるんですよね。でやたらになんか免疫力が強いらしくって、あのー自分で、自然治癒能力みたいなのがある程度高いらしいと。盲腸(虫垂炎)しても3日ぐらいですぐに病院から退院させられるとか、抜糸もしないうちに。赤ちゃん産んだ後も、病院がちょっと混んできたら3日ぐらいで、「すいません、杉本さん一番元気そうなんで退院して下さい」とかって言われてね。うちで子供のへその緒を取らないといけないことになってえらいことだったんですけどね。やっぱりね、身体っていうのは自然に治そうとする力を持ってるはずで、その治そうとする力をどうやって助けてやるかっていうのがたぶん東洋医学だと…。
蓮風 だからそれを専門的に言うと「補瀉(ほしゃ)」と言うんです。
杉本 あーなるほど。
蓮風 人間の中にある、そのまぁ味方が身体を護ろう護ろうとする。これを正気。正しい気。それを歪めてくる、邪気の邪。これ歪ますっていう意味があるし、あの中に。だから気を歪ます因子を邪気という。そうすると、戦に例えると、戦は勝ち戦もあるけれども、負け戦もある。で勝ち戦の時はその邪気を刈り取っていけばいいけど、負け戦の時はそれでやると相手もやられるけど、自分がやられちゃう。その場合は自分の味方の兵糧を足したり、それから軍を強くする。(足りないものを補う)「補法」です。結局先生がさっきおっしゃった、人間が元々持ってる力をどういう風に引き出すか。それが具体的、専門的に言うと「補瀉」という概念なんだと。
杉本 ま、そこが西洋医学とはね、違ってますよね。西洋医学っていうのは診断はある程度一つですよね。「はい、C型肝炎です」でおしまい。この人はこういうタイプのC型肝炎ですとかいうことはないので、そうすると治療法は同じになる。だけれども東洋医学でやると、鍼で治療しようと思うと、そのC型肝炎っていう病名よりは、その人の身体の状態がどうかっていうことを診て、そこに合わせてやっていかなきゃいけない。これ完全にね、オーダーメイド医療なんですよね。
蓮風 だからそれをね、あの昔の概念で言うと陰陽。
杉本 ですよね。
蓮風 陰陽をよく診て、そしてそれに合わせて治療せよと。
杉本 でまぁ難しいのは結局ね、オーダーメイドの治療なんで、工場生産みたいな西洋医学ではできない。究極のオーダーメイドですからね。ということは、オーダーメイドということは、やっぱり、腕の差が出る。先生いつもいい背広とか着てらっしゃいますけど、仕立てる人の腕がいりますよね。ね。工場生産ならみんな同じですから、どれ着ても同じで、差が出るのは、それは着る人がきれいかどうかってことでね、私みたいな。ハハハ。
蓮風 ハハハ。
杉本 それは置いといて。だけども、ほんとにね、オーダーメイドっていうところをね、やっぱり受ける側もね、認識したいと思うんですね。私西洋医学受ける時はいつも、もうこれは工場生産やからみんなどの人にも同じようになるって自分にも言い聞かせる。このごろ日本の漢方で、こんななんていうの、顆粒になってる…
蓮風 エキス剤?
杉本 エキス剤。あれもね、あの、だし方がね、西洋医と同じ基準でだしてる気がして、私個人としては、これ本当の東洋医学じゃないよねっていう気がして。東洋医学の材料は使ってるけど、西洋医学の薬として出してるんだよねっていう風に思ってる。っていうのは、みんな体質違うから、本当は中の材料は同じでも配合を変えなきゃいけないはずなのに、みんな同じ配合になってますからね、症状をパターン化して出す。これが東洋医学だって言われると、これもまた困ったなっていう気がしてるんですけど。便利は便利なんですけどね。
蓮風 まぁ大雑把にやる場合はね、あれで十分なんでしょうが、でも、ただやっぱりデリケートな操作はね、鍼も昔からやっぱりさじ加減。
杉本 そうですよね。ほんとはさじ加減。さじ加減が大事ですよねぇ。
蓮風 さじ加減。うん。たぶん鄧先生もそういうところは巧みだろうと思うんですよね、ご本を読んでも。やっぱりあのーある程度のところへくるとやっぱり名人芸的になるんですよ。でその名人芸的いうのが難しいんですよ。
杉本 うーん。
蓮風 そら患者さんの側からしたら名人芸でやってほしい。ほな名人になる人言うたかてそんなようけ(そんなに多く)おらへん。そこで北辰会も、もう名人が昔は百人に一人出てくりゃいいって言うたけど、今はねぇ、そういう時代じゃない。百人が百人とも名人芸に近いけども、限りなく近いやつをたくさん輩出せないかん時代やというのが僕の認識。
杉本 まぁそうですよねぇ。
蓮風 はいはい。だから難しいんですよ。あんまり一般化しすぎるとさっきのエキス剤なるし。かといってその名人芸だけを追求するとその、そのあたりをたぶん鄧先生があの、徒弟制度が大事だということをおっしゃったんだろうと思いますがね。
杉本 一人一人を育てていくって感じですものねぇ。〈続く〉